はじめに
金は世界共通の価値保存手段であり、価格形成に大きな影響を与える国際的な貴金属市場がいくつか存在します。米国のシカゴにあるCMEグループ(COMEX部門)は金先物取引の中心であり、世界的な価格指標を提供しています。一方、中国の上海では上海先物取引所(SHFE)が人民元建ての金先物を上場し、上海黄金交易所(SGE)は現物取引の中心となっています。本稿では、2025年の状況を基に、両市場における金の保有量の違いとその背景を弁証法(正・反・合)で考察します。ここで言う金保有量とは主に各取引所の登録倉庫に保管されているdeliverable stocksを指し、中央銀行の金準備とは区別します。
シカゴ市場(COMEX)における金保有量とその特徴
1. 2025年のCOMEX金在庫の水準
- 過去最高の在庫量 — 2025年3月末時点でCOMEX倉庫に保管される金は4,330万トロイオンス(約1,350トン)に達し、2024年11月の1,710万トロイオンスから153%増加しました。
- 短期間での急増 — 2024年12月から2025年3月にかけて、米国の輸入関税強化の懸念が高まり、欧州から大量の金が航空機で米国に輸送されました。この期間に2,540万オンス(約790トン)がCOMEX倉庫に納入され、米国の年間金消費量の5年分に相当すると報じられています。
- 在庫増加ペース — 2025年初頭から2月中旬までの間にCOMEXの金在庫は99.4トン増加し、年初来の増加量は471トンに達しました。これは年間世界金需要の約10%に相当します。
2. 在庫増加の要因
- 関税への警戒と裁定取引 — ドナルド・トランプ政権が大規模な輸入関税を発表するとの観測が広がり、ニューヨーク先物価格がロンドン現物価格より大幅に高くなる「NYLONアービトラージ」が発生しました。このプレミアムを求めて金が流入し、COMEX倉庫在庫が増加しました。
- COMEX市場の役割 — COMEXはグローバルに開かれた先物市場であり、契約上の受け渡しが可能な登録倉庫を複数持っています。現物を預けることで先物取引に参加できるため、市場変動に応じて世界中から金が集まりやすい構造です。
- 米国の保管体制 — COMEX倉庫はニューヨークやロサンゼルスなど複数都市に分散しており、CMEグループの本拠地がシカゴであることから「シカゴ市場」と呼ばれます。倉庫ネットワークには大手保管会社が含まれ、世界中の資金が集中します。
3. 市場の特徴
- 投機色の強い先物市場 — COMEXは先物取引が主体で、ヘッジファンドなどレバレッジを用いる投資家が多く参加します。2025年2月時点ではヘッジファンドのネットロングポジションが5年平均を82.4%上回っていました。
- 価格指標としての役割 — COMEX価格はロンドンや上海の現物価格に影響を与える世界的な基準となります。
- 流動性と透明性 — CMEグループは日々の金保管量を公開しており、在庫急増が伝わると投資家心理や裁定取引に影響します。
上海市場(SHFE/SGE)における金保有量とその特徴
1. 2025年のSHFE倉庫在庫
- 保有量は約36トン — 2025年8月6日のブルームバーグ記事によると、上海先物取引所の倉庫に登録された金は36トン超で、この1か月でほぼ倍増し過去最高となりました。先物価格が現物価格より大幅に高いプレミアムとなったため、投資家が安い現物を購入して倉庫に納入する裁定が活発化しました。
- 倉庫規模の差 — COMEXの在庫が1,350トン規模であるのに対し、上海先物取引所の登録在庫はわずか数十トンと桁違いに小さい点が特徴です。
2. 在庫量が小さい理由
- 国内消費主導の市場 — 上海黄金交易所は現物市場であり、受渡しが完了すると金が投資家や宝飾品会社にすぐ引き出されるため、倉庫に長期保管されにくい構造です。
- 資本規制と輸出入制限 — 中国は金の輸出規制が厳しく、国内に輸入された金は国内で消費される傾向が強いことから、倉庫在庫を積み上げるインセンティブが小さい。
- 先物市場の流動性 — SHFEの金先物は人民元建てで国内投資家が主体であるため、大量の在庫を必要としません。また、中国経済の動向や株式市場の動きに影響されやすく、投機的な保管は限定的です。
3. 市場の特徴
- 現物主導の価格形成 — SGEでは宝飾品需要や投資用地金の需要が価格形成に直結し、投機よりも実需が中心です。
- 国内経済との連動 — 中国では株式市場や不動産市場の状況に応じて金需要が変動します。2025年には低金利環境で先物取引が盛り上がった一方、宝飾品需要は前年同期比で減少しています。
- 将来の拡張計画 — 中国人民銀行は2025年4月、上海黄金交易所の海外倉庫を設置し国際決済を支援する方針を検討すると発表しました。人民元建て金取引の国際化が進めば、上海市場の倉庫在庫も増加する可能性があります。
中央銀行の金保有量との比較
- 中国人民銀行(PBoC) — 2025年7月時点で2,300.4トンの金を保有し、2025年に21トンを追加購入しました。ただし、これは国家の外貨準備であり、上海市場の倉庫在庫とは別です。
- 米国の公式金保有 — アメリカの公的保有は8,133.5トンであり、この量は25年余り変動していません。
- 市場在庫との対比 — COMEX倉庫の1,350トンは米国公的保有量の約17%で商業在庫として巨大です。一方、上海先物取引所の36トンはPBoC保有のわずか1.6%に過ぎません。両市場の役割の違いを示しています。
弁証法的考察:正・反・合
正(命題):シカゴ市場は金在庫の集積地であり、世界市場の中心である
- 大量の在庫と流動性により、COMEXは価格発見と裁定を促す国際的拠点となっています。
- グローバルな価格指標としての役割があり、投資家が安全資産として金を求めると大量の金が流入します。
反(反命題):上海市場は保管残高が小さく、実需中心の国内市場である
- 上海先物取引所の登録在庫は36トン前後と小さく、実需主導で長期保管は行われにくい構造です。
- 資本規制や輸出入制限が存在し、人民元建て市場という性格から国際的な投機マネーは入りにくいです。
合(統合):両市場の役割は相補的であり、世界的な金の流れを説明する
- 市場構造の違いが在庫差を生み、シカゴ市場は集積地、上海市場は消費地として機能しています。
- NYと上海間の価格差を利用した裁定取引によって両市場は結ばれ、世界の金流通を円滑にします。
- 中国の国際化政策が進めば、将来は上海市場の在庫が増加し、両市場の差は縮小する可能性があります。
総合考察と予測
- 2025年時点でCOMEX倉庫の金在庫は約1,350トンであり、上海先物取引所の36トンを約37倍も上回ります。
- シカゴ市場は投機とヘッジ需要を吸収する先物中心の市場である一方、上海市場は国内実需中心で規模が小さいという質的な違いがあります。
- 中国が人民元建て金取引の国際化を推進し、海外倉庫の設置を進めれば、上海市場の在庫増加と国際的な役割拡大が期待されます。

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