トラス・ショックの影とサナエノミクス:分断される日本の債券と株式市場


問題の背景

2026年1月、高市早苗首相が衆院解散を決め、食品の消費税を2年間ゼロにするなどの積極財政を公約に掲げました。これを受けて長期・超長期の日本国債(JGB)利回りは急騰し、海外投資家の間で国債売りが広がりました。一方で株式市場では「高市トレード(国債をショートして株式をロングにする取引)」と称される流れが強まり、海外勢の買いが入っています。本稿ではこのテーマを弁証法(正–反–合の構造)に沿って論じます。

正:財政不安が招く国債売り

  1. 公約の財源への不安
    高市首相は選挙公約として食品の消費税を2年間ゼロにすると表明しましたが、年間5兆円規模の税収減の財源を示しませんでした。選挙キャンペーンが「誰が多く支出できるかの競争」になり、債券投資家が日本財政への信認低下を懸念して国債を売ったと報じられています。
  2. 長期金利の急上昇
    新発10年物利回りは2日間で18.5bp上昇し27年ぶりの2.38%を付けました。20年・30年・40年債の利回りも40bp近く急騰し、3.8〜4%台の過去最高水準に達しました。市場関係者からは「この売りは技術的な調整ではなく、政治・ポジショニング・買い手不在による構造的な再価格付けだ」との指摘があります。
  3. 市場の信認低下と「トラス・ショック」への連想
    消費税減税という“禁じ手”により市場が日本財政への信認を失いつつあるとの報道もあり、長期金利の急騰は2022年の英国「トラス・ショック」を想起させました。財政赤字が世界で最も大きい国で同様の危機が起こる可能性が懸念されています。
  4. 国内外の機関投資家の反応
    外国ファンドだけでなく米国大手運用会社バンガードも超長期国債の買い入れを中止したと報じられました。「誰がこの大量のJGBを買うのか」という声が上がり、主要ファンドのポートフォリオマネジャーは信頼できる金融・財政アンカーが欠如しており買いに動く理由がないと述べています。
  5. 財政構造への根本的な懸念
    日本は予算の4分の1を利払いに充て、公的債務は主要国で最も重いと指摘されています。公的支出の約60%が社会保障と国債費に充てられているため、税収減を穴埋めする余地は小さく、無条件の減税は長期的に金利上昇を招き財政の持続可能性を損なうと懸念されています。社会保障費の増大も重しです。
  6. 国内識者や研究機関による批判
    野村総合研究所は消費税ゼロの景気押し上げ効果はGDP比で+0.22%と分析し、ターゲットを絞った現金給付の方が効率的だと述べています。第一生命経済研究所は、2026年度当初予算は抑制的だったものの補正予算で4兆円が追加されたため長期金利が上昇したと指摘し、今後は多年度の財政ルールや債務対GDP目標の見直しが必要だと述べています。

以上の要素が重なり、海外投資家は日本国債を売る姿勢を強めています。特に流動性の低い長期・超長期債は少しの売りで利回りが急騰しやすい状況です。

反:成長期待と円安が株式買いを支える

  1. 海外投資家の旺盛な買い
    東京証券取引所の投資部門別売買動向によると、2026年1月第2週(13〜16日)の海外投資家は現物株と先物を合わせて8655億円の買い越しで、前週の9944億円に続き2週連続の大幅買い越しとなりました。大和証券の橋本氏は「解散・総選挙への思惑と『サナエノミクス』への期待から海外投資家が買いに動いた。円安のおかげで割高感は薄れている」と分析しています。
  2. 指数を押し上げるセクター
    高市政権が掲げる17の戦略分野の中ではAIや半導体、防衛関連株が外国人投資家に物色され、日経平均やTOPIXの最高値更新を支えました。円安はトヨタなど輸出関連株の追い風となり、金利上昇はメガバンク株にとってプラスとなりました。長期金利上昇という「副作用」の警戒は残るものの、海外勢には「株を買わないと乗り遅れる」との焦りもあると指摘されています。
  3. 長期的な株式強気見通し
    大和証券投資信託委託は、日経平均が2026年末に5万6000円、2027年末に6万円に達すると予想しています。同報告書は、日本株が2023年以降3年連続で大幅に上昇しており、2026年も景気の底堅さや名目GDP成長、企業収益の増加でもう一段の上昇を見込んでいます。高市政権の成長戦略や経済対策が危機管理・成長投資に重点を置き、AIやインフラ投資などを推進すると評価されています。
  4. 構造変革と企業改革への期待
    日本がデフレから持続的なインフレへ転換しつつあること、企業統治改革が進みROEが上昇していること、余剰資金の活用促進が議論されていることなどが株式の再評価を促すとみられています。AIや資本投資、物価高対応策、ガバナンス改革が重要な投資テーマとされ、円安の修正や需給改善が海外資金流入を後押しすると指摘されています。
  5. 円安が割高感を和らげる
    2026年初めにはドル円が160円近辺まで下落し、ドル建てで見た日本株のバリュエーションは依然として割安感があります。海外投資家は円を売りながら株式を買うことで円安メリットと企業のグローバル競争力向上を取り込んでいます。
  6. 日銀の金融政策と景気循環
    金利上昇は債券市場には打撃ですが、適度なインフレと名目賃金の上昇は企業収益を押し上げ、賃上げが消費を刺激します。日銀がゆっくりと金利を引き上げる姿勢を維持していることも株式には安心材料となっています。

合:両極の統合と今後の課題

国債売り(正)と株式買い(反)は一見矛盾しますが、背景には共通の動機があります。海外投資家は、日本の財政拡張路線が長期金利を押し上げ債券価格を下落させると判断し国債を売却しています。一方、同じ拡張政策が短中期的には景気や企業収益を押し上げるとみて株式を買い込んでいます。ここから導かれる統合的な視点は以下の通りです。

  1. 財政・金融の両輪が投資家心理を左右する
    高市政権は「危機管理投資」と「成長投資」の二本柱を掲げ、債務増加を経済成長率以下に抑えると説明しています。しかし、消費税ゼロのような即効性のある政策は財政規律を弱め長期金利を押し上げてしまうため、海外投資家は国債売りでリスクを織り込み、成長戦略が実行される限り株式を買い持ちにするというヘッジ付きのポートフォリオを組んでいます。
  2. 金利上昇が最終的に株式に影響を及ぼすリスク
    国債金利が4%近辺まで上昇すると企業の資金調達コストが上がり株式の割引率も上昇します。金利上昇や円安が輸入コスト増や消費減退を招き、小売株などに逆風となるとの指摘もあり、長期金利の上昇が続けば株高基調が反転する可能性があります。
  3. 政治リスクと政策持続性
    国債市場の波乱は、海外投資家が日本の財政運営に不信を抱いた場合に瞬時に広がります。選挙で議席が伸びなければ期待先行の株高は反動安になりかねないとの見方もあり、政局の不透明さが株式・債券両市場のボラティリティを高めています。投資家が「トラス・ショック」の再来を警戒する中、与野党の減税競争が市場の不安定さを増大させています。選挙後に政府が財源の裏付けや多年度の財政目標を示し市場の信認を回復できるかがカギです。
  4. 持続的成長の実現には構造改革が不可欠
    成長投資やAI関連銘柄への期待は大きいものの、人口減少や労働力不足、過剰債務といった構造問題は依然として日本経済の足かせです。日経平均が5万〜6万円台に到達するには、企業統治改革や余剰資金の活用、イノベーション投資の促進といった長期的改革が必要であり、これらが進まなければ短期的な株高は長続きしません。
  5. 投資家にとっての示唆
    高市トレードは債券市場の下落をヘッジしながら株式の上昇を狙う戦略で、現状の日本市場では合理的に見えます。しかし、このポジションが成功するかは財政運営と成長戦略のバランスに依存します。投資家は、政府が消費税減税の代替財源や財政ルールを示すか、長期金利の上昇が企業収益や家計に与える影響、円安修正や世界経済の減速リスク、株式市場のバリュエーションと収益見通し、といった要素を常に点検しながら臨機応変にスタンスを調整する必要があります。

最後に要約

高市政権による早期選挙と積極財政公約は、日本国債への不安と株式への期待という二面性を市場に与えました。外国人投資家は、財源が不明瞭な減税が財政規律を崩し長期金利を急騰させるリスクを警戒し、特に超長期債を積極的に売りました。市場では英国のトラス政権を想起させるとの声もあり、財政への信認低下が金利上昇を招いています。一方で、円安や成長投資への期待が海外勢の日本株買いを後押しし、1月第2週だけで現物と先物合わせて8655億円の買い越しとなりました。日経平均が2026年末に5万6000円に到達すると予想する声もあり、AI・半導体投資や企業統治改革といった構造変化がポジティブ要因に挙げられています。ただし、金利上昇や円安が家計や企業に与える副作用、政局の不透明さ、長期的な財政規律と社会保障費の膨張といった課題も大きく、国債売りと株式買いという対照的な動きは、財政リスクをヘッジしつつ成長機会を狙う投資家心理の表れです。今後の政策運営がその均衡を左右するでしょう。

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