問題提起と対立軸
国債残高がGDPの2倍以上に達し、「1000兆円を超える借金に財政は火の車」と喧伝される日本財政の危機論は根強い。急速に進む高齢化や社会保障費の増大、歳出の6割を占める国債費と社会保障費、金利上昇で膨らむ利払い負担などは、国債に依存した財政運営の限界を訴える側が強調する論点だ。実際、財務省は中央・地方政府の長期債務残高が1,330兆円(GDP比約217%)に上り、利払いや償還費は2026年度予算で31兆円を超えると示している。資金供給を縮小する日本銀行に代わり市場での資金調達が増えれば、10年物国債の想定金利は2.1%に引き上げられ、複利効果で利払いは数年で3割超増えるとの試算もある。国際通貨基金(IMF)や国内エコノミストは、インフレの沈静化や経済成長率の鈍化とともに実質金利が上昇すれば、現在のような「金利<成長率」の状態は2027年以降に解消され、債務対GDP比の減少も頭打ちになると警告する。
これに対し、危機論を過度に煽るのは誤解を招くとの反論もある。政府の負債の裏には外貨準備や年金積立金、民間への貸付金などの金融資産があり、総負債から金融資産を差し引いた純負債で見ると日本の負債比率は大きく低下する。海外研究では、一般政府の金融資産がGDPの約190%に上り、純負債はGDP比で100%前後に過ぎないとする試算もある。国内企業は1990年代以降、設備投資より債務返済を優先し、企業部門全体が恒常的な貯蓄超過(純資産)に転じた。企業が保有する現預金はGDPの6割近くに達し、家計も2千兆円規模の金融資産を持つ。国債の9割以上を国内の金融機関や日本銀行が保有しており、利払い費はGDPの1〜2%台にとどまる。政府は無期限の存在であり、償還期限を迎えた国債は新規国債で借り換えるのが国際慣行である。財務省が定める「60年償還ルール」は、建設国債や赤字国債を60年間で償還する計画を示すものだが、実際には償還財源に充てる一般会計からの繰入金と借換債で繰り延べる仕組みになっており、本当に発行残高を減らす制度ではない。このため国債費の大部分は実質的な現金支出ではなく、「借り換え」を歳出に含めているため膨大に見えるのだ、という指摘もある。
さらに、財政赤字=悪とみなすことが経済全体の資金循環を阻害してきたとの批判も存在する。日本経済全体の資金需要(政府部門と企業部門の資金不足・過剰を合わせたもの)は長らくゼロ付近で推移し、デフレを助長してきた。コロナ禍では政府が積極財政を行った結果、ネット資金需要がGDP比マイナス5%まで拡大し、家計に所得が回ったことでインフレ率が2〜3%に達した。この経験から、適度な財政赤字が家計所得を押し上げ、実質賃金と物価を安定的に上げる効果があると積極財政派は主張する。
弁証法的検討
- 命題(財政危機論)
- 高齢化に伴う社会保障費や防衛費が拡大し、税収だけでは賄いきれないため国債依存が増大している。
- 金利が上昇し始めたことで利払費が急増し、2026年度予算で国債費が30兆円を超えた。金利が4〜5%まで上昇すれば、借り換え債を市場が吸収できず資金繰りが行き詰まる恐れがある。
- 政府の資産は年金積立金や外貨準備など流用が難しいものが多く、純負債で安心するのは危険である。
- 現在の債務対GDP比の減少はインフレ率上昇と名目GDPの伸びによる一時的効果であり、成長鈍化や金利上昇で逆転する。
- 反命題(積極財政論)
- 国債は家計の借金と異なり政府に寿命はなく、償還は新規発行で乗り換え続けるのが一般的である。将来世代が税金で返す必要はない。
- 政府はGDPの2倍近い金融資産を保有し、企業と家計の巨大な貯蓄超過もあるため、国全体のバランスシートは極めて健全である。利払い費は低水準に抑えられ、国内投資家が国債を支えている。
- 国債費の多くは償還のための借り換えであり、実際の利払いは歳出全体の数%に過ぎない。
- デフレ脱却と賃金上昇には政府が積極的に財政支出を行い、家計に所得を回すことが不可欠である。財政支出が不足すれば再びデフレ圧力が高まり、実質賃金は伸びない。
- 総合(統合的視点)
- 純負債で評価する視点や国内資金循環の厚みは、短期的に積極財政の余地があることを示す。ただし政府資産の多くは売却困難で、年金積立金などは将来の支払いに充てられるべきものである。
- 企業・家計の資金余剰は投資機会の欠如の表れでもあり、外国債や株式に流出すれば国債への需要が減り金利が上がりやすくなる。日本銀行が国債購入を縮小する中、今後は海外投資家も主要な買い手となるため、金利上昇の影響は大きくなる可能性がある。
- 財政支出が過剰になれば、米英のようにマイナス10%を超えるネット資金需要となり悪性インフレや急激な金利上昇を招く危険がある。逆に支出を急激に絞れば家計所得が減りデフレが再燃する。
- したがって、財政運営は「使いすぎ」と「使わなすぎ」を避けた適度な積極性が求められる。企業と政府を合わせたネット資金需要をGDP比マイナス5%程度に維持しつつ、労働市場や生産性への投資を通じて実質賃金と潜在成長率を引き上げる必要がある。同時に、歳出改革や税制見直しにより中長期的な債務対GDP比の安定的な低下を目指し、名目金利の上昇が財政を圧迫しないよう負債構造を改善していくことが不可欠である。
要約
日本の財政を巡る議論は、巨額の国債残高を危機と捉える立場と、純負債や国内の資金余剰に注目して積極財政の余地を主張する立場の対立として表れる。前者は金利上昇や高齢化に伴う支出増を問題視し、将来的な債務負担の増大を警告する。後者は政府の金融資産や企業・家計の貯蓄超過に着目し、適度な財政赤字が経済を活性化すると強調する。しかし政府資産の流動性や金利上昇リスク、民間資金の海外流出可能性などを考慮すると、無制限の国債発行には限界がある。今後はインフレ・金利・成長率のバランスを睨みながら、家計所得を底上げする投資と中長期的な財政健全化を両立させる「責任ある積極財政」が求められるのであり、楽観論と悲観論を統合した慎重な舵取りが必要である。

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