富裕層だけが勝つ構造:関税ショックと利下げ相場


はじめに

2024年以降、トランプ政権は米中対立を背景に輸入関税の大幅な引き上げを実施し、国際社会に大きな波紋を投げかけました。一方で米連邦準備制度(FRB)は景気減速や金融市場の混乱に対応するため金融緩和姿勢を強めています。本報告では、関税のインフレ効果とFRBの利下げ姿勢、さらにトランプ政権の政策が株式市場に与える影響を弁証法的視点で整理し、最後に要約します。

関税がもたらすインフレ要因

関税は消費者物価と供給に打撃

トランプ政権が課した国際緊急経済権限法(IEEPA)関税や232条関税は、鉄鋼、自動車、家具など幅広い品目に適用されており、平均適用関税率を1.5%から15.8%へ引き上げ、平均的な有効関税率も11.2%に上昇しました。これは1943年以来の高い水準であり、家計あたりの税負担は2025年に1,100ドル、2026年に1,400ドル増えると推計されています。関税は価格を引き上げ、企業や消費者が利用できる財・サービスの数量を減らし、所得や雇用を減少させます。長期的には米国GDPを0.5%押し下げるとの試算もあります。

イェール大学のバジェット・ラボは、2025年に導入されたすべての関税により、短期的な物価が2.3%上昇し、平均的世帯の購買力が3,800ドル(2024年ドル)失われると見積もっています。4月2日に発表された最低関税10%政策だけでも物価を1.3%押し上げ、1世帯あたり2,100ドルの購買力が失われるとされています。これらの関税は2025年の実質GDP成長率を0.5ポイント引き下げ、全体の経済規模も0.4〜0.6%縮小すると言われています。

関税は短期的に需要を冷やし、長期的にインフレを促す

サンフランシスコ連邦準備銀行の分析では、関税はサプライチェーンや企業の投入コストを押し上げるため供給ショックとなり、高インフレや高失業につながります。しかし、関税は支出を抑制する需要ショックとしても作用し、需要減退が短期的には失業率を上昇させると同時に物価を押し下げます。歴史的データに基づく推計では、関税引き上げ後すぐに失業率が上がり、インフレ率は低下するものの、時間の経過とともに経済活動が再び活発になり、インフレ率が基準より高い水準に上昇するという結果が示されています。

バジェット・ラボの推計では、4月2日の関税だけで平均有効関税率が11.5ポイント上昇し、FRBが何も対応しない場合、消費者物価が短期的に1.3%上昇します。すべての2025年関税を合算すると平均有効関税率は約20ポイント上昇し、物価を2.3%押し上げるため、関税はインフレを生み出す政策であるといえます。

FRBの利下げ志向と金融政策

FRBの目標と政策判断

FRBのパウエル議長は、関税による一時的な物価上昇が長期的なインフレ圧力に転じないよう、長期的なインフレ期待を「しっかり錨付ける」必要性を強調しました。FRB内では、ウォラー理事が「関税によるインフレは一時的」と述べた一方で、パウエル議長はスタグフレーションリスクの高まりに言及し、政策判断の慎重さを示しています。

エコノミストの中には、雇用の弱さがインフレより長く続くと見られるため、FRBの次の政策変更は利下げになるべきであり、利下げは9月頃になると予想する向きもあります。2025年6月の報道では、トランプ大統領がFRBに大胆な利下げを求める一方、FRBは貿易摩擦や中東情勢を含む不確実性の高まりから政策金利を4.25〜4.50%で据え置く姿勢を取りました。関税による物価上昇が早期には現れず、雇用成長の鈍化と相まってFRBが利下げ再開に近づいていると指摘されています。ただし、パウエル議長は「状況が不透明なときは現状維持を選ぶこともある」と述べ、貿易論争が解決しない限り待ちの姿勢を示しました。

同じ報道では、シティのエコノミストが「関税によって一部の物価は上昇するが、サービス部門のインフレ鈍化によりインフレ上昇は一時的で、需要減退に伴い失業率は上昇する」と分析し、9月から段階的な利下げが始まる可能性を指摘しています。

関税と利下げの同時進行

4月上旬にはトランプ政権が多くの国に対する関税引き上げを90日間停止し、代わりに中国向け関税だけを大幅に引き上げました。この「90日間停止」によって貿易摩擦への警戒が弱まり、FRBは政策スタンスを柔軟にする余地が生まれました。金融市場では、4月の「リベレーション・デー」に関税が発動された後に株価が急落し、5月以降はインフレの鈍化が確認されるとFRBが年内2回の利下げを示唆するなど、ハト派への転換が進んだとされています。FRBのウォラー、ボウマン各理事も「インフレが大人しくなれば7月にも利下げがあり得る」と発言し、金利低下が株式市場の回復を後押ししました。

トランプ政権の貿易政策と株式市場

関税発表による市場の動揺

2025年3月10日の報道によれば、トランプ政権の関税が投資家心理を冷やし、S&P500指数は2月19日の史上最高値から約8.6%下落し、約4兆ドルの株式価値が失われました。ナスダック指数は4%急落し、航空会社デルタは関税の影響を理由に利益見通しを半減させるなど、企業業績にも影響が広がりました。

新たな関税やヨーロッパ・カナダへの報復措置の可能性は企業の投資計画を曇らせ、ラザードのピーター・オルザグCEOは「カナダ・メキシコ・欧州への関税がこのまま続けば米国の経済見通しに深刻な損害を与える」と警告しました。Bairdの投資ストラテジスト、ロス・メイフィールドは「トランプ政権は株価下落や景気後退を容認してでも目標を達成しようとしているようだ」と述べ、市場関係者の警戒感を表しています。

株式市場の所有構造にも注目すべき点があります。米国連邦準備銀行セントルイス支店のデータでは、株式とミューチュアルファンドの所有割合のうち、下位50%の世帯が保有する割合はわずか1%に過ぎず、上位10%が87%を保有しています。このため、株価の大きな下落と急回復は富裕層や機関投資家にとって大きな利益機会となります。

90日停止とV字回復

4月9日にトランプ政権は90日間の関税停止を発表し、報復しない国には関税を停止する一方、中国への関税を145%に引き上げました。この政策転換で中国の輸入シェアが大幅に縮小し、総合的な有効関税率の上昇幅が抑えられるとの見方が示されました。

金融市場はこの「90日停止」や報復関税の抑制を好感し、4月中旬以降の株価は急反発しました。金融情報サイトの分析では、S&P500指数が2月19日の6,147.43から4月7日に4,835.04まで下落した後、6月26日には6,139.69まで戻り、21.3%の下落からV字回復を遂げたと指摘されています。この回復要因として、90日間の関税停止や良好な企業決算、景気指標の堅調さが挙げられています。

同記事では、90日停止の発表後、市場は「いくつかの関税が撤回・延期される」と解釈し、主要国との交渉再開や中国の報復関税が大幅に引き下げられたことがリスク資産の回復につながったと説明しています。

弁証法的分析

弁証法的思考では、矛盾する力学を「テーゼ(命題)」と「アンチテーゼ(反命題)」として捉え、その対立から「ジンテーゼ(統合)」へ至る過程を考察します。本件では、次のように整理できます。

テーゼ:関税による供給ショックとインフレ

トランプ政権の関税拡大は、平均有効関税率を第二次世界大戦以来の水準に引き上げ、消費者物価を1.3〜2.3%押し上げました。関税は商品価格の上昇と供給の逼迫を引き起こし、所得や雇用を減少させます。サプライチェーンにかかる追加コストや報復関税の影響により、実質GDPは0.5〜0.9ポイント押し下げられます。関税政策は短期的に需要を抑制し、長期的にはインフレ率を引き上げるため、これがテーゼの側面です。

アンチテーゼ:FRBの金融緩和と利下げ

FRBはインフレ目標(2%)と最大雇用の二重使命を掲げ、関税による物価上昇が一過性に過ぎない場合は利下げで景気を支える姿勢を示しています。パウエル議長はインフレ期待の錨付けを強調しつつ、政策調整を急がないと述べ、年内に2回の利下げが実施されるとの観測が広がりました。利下げは負債コストを減らし、株式の割引率を下げ、資産価格を押し上げるため、金融緩和は市場の下落を反転させる力として作用します。

ジンテーゼ:政策矛盾の中での市場操作と結果

テーゼとアンチテーゼの対立は、トランプ政権が関税を使ってインフレを引き起こしつつ、同時にFRBに利下げを求めるという矛盾した政策構図を生み出します。トランプ大統領はFRBに大幅な利下げを要求し、市場関係者からは政治が金融政策の独立性に干渉しているとの批判が出ています。この矛盾は、株式市場の大幅な調整とその後の急反発という形で表面化しました。大規模な関税発表によって市場は4兆ドル超の損失を出し、投資家はリスク回避に走りました。その後、関税の停止や利下げ観測が広がるとV字回復を演じ、株式保有比率の高い上位層は大きな利益を得ました。

このジンテーゼの下では、政治的インセンティブと金融政策の相互作用が市場ボラティリティを高め、短期的には支持基盤となる機関投資家が恩恵を受ける構造が浮かび上がります。需要減退による短期的なデフレ効果と供給ショックによる長期的なインフレ圧力のどちらを重視するかで、政策当局は難しい判断を迫られるでしょう。

要約

関税は物価を押し上げ、家計や企業の負担を増大させます。2025年に導入された関税は短期的に消費者物価を最大2.3%押し上げ、米国の実質GDPを0.5〜0.9ポイント押し下げると推計されています。サンフランシスコ連銀の研究は、関税が供給ショックとしてインフレと失業を高める一方、需要ショックとして短期的にインフレを抑える効果もあり、長期的にはインフレが高まると示しています。

FRBはインフレ期待の安定を重視しつつ、景気後退の兆候があれば利下げを行う構えです。パウエル議長は一時的な関税インフレを抑え込む姿勢を示し、エコノミストの多くは9月以降に利下げが行われると予想しています。こうしたハト派姿勢は、関税導入による株価下落後のV字回復を後押ししました。

トランプ政権の貿易政策は関税を交渉手段として用い、株式市場に大きな揺さぶりをかけました。3月には関税強化で市場から4兆ドル以上が蒸発し、4月に関税停止を発表すると株式市場は急反発しました。富裕層が株式の大部分を保有していることから、こうした価格変動は一部の投資家に利益機会を与えることになります。

弁証法的に見ると、関税によるインフレ・景気悪化というテーゼと、FRBによる金融緩和というアンチテーゼは相反する力として働き、政策矛盾の中で株式市場の乱高下が生み出されます。この対立は、政治的意図と金融政策の独立性という構造的な矛盾を浮かび上がらせ、投資家にとっては大きな機会とリスクが同居する環境をもたらします。

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