インドの米国債売却は「脱ドル化」か、それとも現実的な通貨防衛か

インドの外貨準備における米国債の保有額は、2023年のピークに比べて大幅に減少し、2025年秋の時点で約1900億ドルまで落ち込んだ。これは前年比で21~26%程度の減少にあたり、外貨準備全体に占める米国債の比率も40%から3分の1程度まで低下している。インド準備銀行は同じ期間に金をはじめとする代替資産への投資比率を拡大しており、金保有量は880トン前後まで増加し、そのシェアは13%超と過去より大幅に高まった。こうした動きは、中国やブラジル、サウジアラビアなど他の新興国と足並みをそろえるもので、世界の外貨準備の構成を巡る議論が活発化している。

正(テーゼ):分散投資と制裁リスク回避の必要性

インドが米国債の比率を引き下げる理由としては、国際金融環境と地政学リスクの変化が挙げられる。各国の財政赤字拡大や金利上昇により、長期債券を保有する際の評価損リスクが高まっており、米国債も例外ではない。米国の10年債利回りは2024~2025年にかけて4~5%の高水準で推移したが、利回り上昇は債券価格の下落を意味する。このため、インド準備銀行は金などの価値保存資産へ資金を振り向けることで、外貨準備の評価額変動を抑えようとしている。

また、ロシアがウクライナに侵攻した後に米欧がロシアの外貨準備を凍結した事例は、米ドル建て資産の制裁リスクを改めて浮き彫りにした。中央銀行の調査でも「資産が制裁や没収の対象となることへの懸念」が多く挙げられ、これが新興国の「脱ドル化」の流れを促している。インドは大国間対立の狭間に位置しており、米国債への依存を減らすことで、将来の地政学的圧力や制裁に対するレジリエンスを高めようとしている。

さらにインドは自国通貨ルピーの安定を図る上で外貨準備を活用している。2025年には米国からの高関税や資本流出圧力の高まりからルピーが下落し、準備銀行は為替市場で数十億ドル規模のドル売り介入を実施した。金やその他の流動性の高い資産を保有していれば、必要なときに迅速に現金化してルピー買い支えに使うことができる。米国債は安全性が高い一方、売却手続きに時間がかかる場合があるため、分散投資によって機動的な介入能力を確保することが重要だ。

反(アンチテーゼ):米国債は依然として基軸資産であり過度な削減は危険

一方、米国債の保有を過度に減らすことにはリスクも伴う。国際通貨基金(IMF)の統計によれば、2024年時点で世界の外貨準備の58%が米ドル建てであり、この比率はここ数年ほとんど変化していない。欧州や日本、英国など多くの先進国は2025年にも米国債への投資を増やしており、英米間の同盟国が米国債を安全な避難先と見なしている状況は続いている。米国債市場は世界最大の流動性を誇り、迅速な売買が可能であるため、外貨準備の「最後の砦」としての役割は依然として大きい。

金は価値保存手段として有用だが、利子を生まないため、長期的なリターンは債券より低くなりがちである。金価格の上昇が外貨準備の価値増加に寄与した面はあるものの、価格が下落すれば逆に損失が生じる。また、金の市場規模は米国債に比べはるかに小さいため、大規模な売買が世界市場に与える影響が大きく、流動性不足のリスクもある。さらに、米国債を保有していなければ、将来ルピーが急激に下落した際に十分なドル資金を調達できなくなる恐れがある。インドの米国債保有額は日本や中国に比べ小さいため、保有を削減しても対米依存度全体が大きく減るわけではなく、過度な分散は実質的な効果よりも政治的メッセージ性が強いとの批判もある。

合(総合):分散と基軸通貨のバランスを探る必要性

インドの米国債売却と代替資産への転換は、世界的な金利上昇と地政学リスクの中で合理的な対応だが、米ドルの基軸性が短期的に崩れる兆しはなく、極端な「脱ドル化」は現実的ではない。世界全体の外貨準備に占める米国債の割合は依然として高水準で、ドル建て資産の流動性と信用度は他の通貨を大きく上回る。したがって、インドは米国債を完全に手放すのではなく、保有期限の調整や金・非ドル資産とのバランスを取りながらリスクを管理する必要がある。

具体的には、金や多通貨建て資産の比率を徐々に高める一方で、米国債の保有期間を短めのものにシフトし、金利変動による評価損リスクを抑える手法が考えられる。また、米国や同盟国との政治的関係の強化や自由貿易協定の推進により、資産凍結のリスクを低減する外交努力も重要となる。インドにとっての課題は、国際的な地政学リスクに備えながら、通貨防衛と外貨準備の収益性を両立させることにある。

要約

近年インドは外貨準備に占める米国債の比率を引き下げ、代わりに金や非ドル資産への投資を増やしている。背景には米国債利回り上昇による評価損リスクや米国による制裁への警戒感、ルピー安抑制のための介入資金確保といった要因がある。一方で、米ドルは依然として世界の主要準備通貨であり、米国債市場の流動性と安全性は他に類を見ない。過度な「脱ドル化」は外貨準備の安定と通貨防衛能力を損なう可能性がある。したがって、インドは米国債から完全に撤退するのではなく、多角的な資産構成を通じてリスクを分散しつつ、ドル資産の利点を活かすバランスの取れた戦略を追求することが望ましい。

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