ロックの「君主も法に従う」思想

ロックの著作における発言とその文脈

ジョン・ロックは著書の中で、たとえ国王であっても法に拘束されるべきだという趣旨の主張を明確に示しています。例えば、彼は正統な君主と暴君の違いを論じる中で、「安定した王国を治める王は、自ら定めた法に従うことをやめた途端、もはや王であることをやめて暴君に成り下がる」と述べています。つまり、君主であろうと法の枠内で統治しなければその正統性を失うという文脈で、この発言が登場します。またロックは、全ての正当な国王は自ら進んで法の限界内に留まろうとするものだとも述べ、君主に法に反する行為を勧める者こそが国家にとって有害であると警告しています。さらに彼は、いかなる公職者であっても権限の範囲を超える行為は許されないと強調し、それは「国王といえども下級の役人と同様」であり、むしろ王が法を破る方がその信託を裏切る分だけ一層重大な罪であると指摘します。ロックのテキストでは、人々が社会契約によって国家を形成するのに「全員が法の拘束を受けることに同意しつつ、ただ一人の人間(君主)のみが自然状態での自由をそのまま保持し、しかも罰せられない権力を享受する」などという状況はあり得ないと痛烈に批判されています。このように、ロックは一貫して統治者であっても恣意的な権力行使は許されず、法に服する必要があるという原則を彼の政治思想の中核に据えているのです。

発言の意図と思想的背景

ロックがこのような「王も法に従うべきだ」と主張した背景には、17世紀後半当時のイギリスの政治状況と、彼自身の社会契約に基づく政治哲学があります。その意図や思想的背景を整理すると、次のようになります。

  • 絶対王権への批判: ロックは、王権神授による無制限の絶対君主制という考え方に真っ向から異議を唱えました。当時、ロバート・フィルマーの『家父長権論(Patriarcha)』に代表されるように、「王は神から与えられた無制約の権力を持ち、法の拘束を受けない」という主張がありました。ロックはこの王権神授説を否定し、いかなる統治者も法と契約によって制限されるべきだと論じたのです。これは、中世以来の「王といえども神と法の下にある」というイギリス法思想(マグナ・カルタやブラクトン、エドワード・コークの法の支配の伝統)を啓蒙時代の社会契約論の文脈で再確認したものでもあります。
  • 社会契約と法の支配: ロックの政治思想の根幹には社会契約説法の支配の理念があります。彼によれば、人々は自然状態で生まれながらに自由かつ平等であり、その自由を安全に保障するために合意の上で社会を形成し政府を樹立します。政府の正当な権力は人民の同意に基づいて与えられたものであり、その目的は各人の「自然権」(生命・自由・財産)を守ることにあります。したがって政府(君主を含む)が行使できる権力には限界と目的があり、それを具体化したものが法律です。ロックは「法の目的は人々の自由を保存・拡大することであり、法なきところに自由はあり得ない」と述べ、法律が恣意的権力から人々を守る規範であることを強調しました。言い換えれば、法こそが統治者と被統治者すべてを拘束し、自由を保障するルールであり、君主といえどもその例外ではないということです。
  • 自然法と統治者の責務: ロックは理性に基づく自然法の概念を重視し、政府の法律も基本的には自然法(人々の権利と公益を守る原理)に適合していなければならないと考えました。国王は即位の際に法律を守ることを誓約するように、統治者は神(自然法)と人民との契約によってその権力を託されているというのがロックの見解です。ゆえに統治者は自ら制定し執行する法律にまず率先して従う義務があります。ロックが引用したジェームズ1世の言葉にもあるように、正当な王は「二重の誓約」によって王国の基本法を遵守する責任を負っており、王は人民と法を守るために存在するのであって、自らの野望や欲望を満たすためにあるのではないという倫理観が示されています。このように、ロックは統治者を人民の信託を受けた公僕とみなし、公共の福祉を図ることこそが王の使命であると位置付けました。
  • 抵抗権(革命権)の正当化: ロックの「王も法に従うべき」という主張は、単なる法遵守の呼びかけに留まらず、統治者が法を踏み越えた場合の人民の権利にも言及しています。彼は、政府が権限を乱用して人民の権利を侵害したときには、社会契約が破綻したものとみなし得ると論じました。すなわち君主が法に反して専横を振るうならば、それは人民に対する「不法な支配」すなわち暴政であり、人民はもはやその法への服従義務から解放されると考えます。ロックは極限状況において人民には抵抗する正当な権利(革命権)があると主張し、実力行使が許されるのは統治者による違法な侵害行為に対してのみであると慎重に条件付けながらも、法を踏みにじる君主に対しては最終的に人民がそれを廃することが正当化されると説きました。この思想的背景には、イングランド内戦や名誉革命といった歴史的経験があり、ロック自身、1688年の名誉革命によって専制的な王が追放され立憲的統治が樹立されたことを念頭に、そうした人民の抵抗が正当であった理由を理論的に示そうとした面があります。ロックの理論は実際、政府権力の正当性は法の順守と人民の信託にかかっていること、そしてそれを裏切る統治者は君主の地位を失うという考えを打ち出し、後の近代立憲主義にも大きな影響を与えました。

以上のように、ジョン・ロックの「王も法に拘束される」といった発言は、絶対王権への批判と社会契約にもとづく法の支配の理念を示すものです。それは統治者ですら法の下に置くことで人々の自由と権利を守ろうとする意図によるものであり、ひいては統治者の責任と人民の権利を明確にする政治思想上の画期的な主張でした。ロックは法を超える権力を認めず、統治の正当性と目的は常に公共の利益と自然権の保障にあると考えたのです。その思想的背景には、専制に対する反省と自由を確立しようとする時代精神があり、この原則は近代民主主義における立憲主義の基礎ともなりました。

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