結論からいえば、1970年代の米国では、石油価格が上昇しただけでなく、名目マネーサプライも一貫して増加していた。
ただし、次の点は修正する必要がある。
新自由主義・マネタリズムによって通貨供給量を増やしたのではない。
むしろケインズ主義的な景気・雇用への配慮によってマネー供給の増加を容認した結果、インフレが持続した。そこでマネタリズムが台頭し、通貨供給の増加率を抑制しようとした。
つまり、マネタリズムとは「通貨を増やす思想」ではなく、通貨供給量を物価安定と整合的な一定率に管理する思想である。
1.実際のマネーサプライはどうだったのか
FREDの現在の系列を用い、各年12月の前年同月比を計算すると、次のようになる。
| 年 | M1増加率 | M2増加率 | CPI上昇率 |
|---|---|---|---|
| 1970 | 5.1% | 6.6% | 5.6% |
| 1971 | 6.5% | 13.4% | 3.3% |
| 1972 | 9.2% | 13.0% | 3.4% |
| 1973 | 5.5% | 6.6% | 8.9% |
| 1974 | 4.3% | 5.4% | 12.1% |
| 1975 | 4.7% | 12.6% | 7.1% |
| 1976 | 6.7% | 13.4% | 5.0% |
| 1977 | 8.1% | 10.3% | 6.7% |
| 1978 | 8.0% | 7.5% | 9.0% |
| 1979 | 6.9% | 7.9% | 13.3% |
| 1980 | 7.0% | 8.6% | 12.4% |
| 1981 | 6.9% | 9.7% | 8.9% |
| 1982 | 8.7% | 8.6% | 3.8% |
名目M2は、1969年末の約5,879億ドルから1979年末には約1兆4,737億ドルへと、10年間で約2.5倍になった。年平均増加率はおよそ9.6%である。
一方、物価で割り引いた実質M2は、
- 1972年末:約1兆8,878億ドル
- 1974年末:約1兆7,382億ドル
- 1979年末:約1兆9,164億ドル
- 1980年末:約1兆8,516億ドル
となっている。
したがって、名目マネーは増えていたが、物価上昇の方が速い局面では実質マネー残高は減少していた。ここが重要である。
データはセントルイス連銀のM1、M2、実質M2による。なお、金融自由化やMMFの普及によって通貨の範囲が変化したため、特に1980年代初頭のM1・M2は単純比較に注意が必要である。FRBもMMFの拡大を受け、1980年にM2の定義を変更している。
2.正――石油ショックによるコストプッシュインフレ
1970年代のインフレには、明確な供給側の要因があった。
- 1971年の金・ドル交換停止
- ドル切り下げと国際商品価格の上昇
- 1973~74年の第一次石油ショック
- 1978~80年のイラン革命と第二次石油ショック
- 生産性上昇率の低下
- 賃金と物価のスパイラル
- 価格・賃金統制の解除による反動
原油価格の上昇は、生産費と輸送費を押し上げる。その一方で、企業収益と実質所得を減少させ、景気を悪化させる。
したがって、
物価は上がるが、景気は悪化する
というスタグフレーションが発生した。
従来型ケインズ政策は、基本的に需要不足には財政・金融緩和、需要過熱には引締めという枠組みであった。しかしスタグフレーションでは、景気対策として需要を刺激すれば物価が上がり、インフレ対策として需要を抑えれば失業が増える。
ここにケインズ主義的政策の矛盾が現れた。
3.反――インフレを持続させた金融緩和
もっとも、原油価格の上昇だけでは、十年以上にわたる持続的インフレを完全には説明できない。
供給ショックだけなら、本来は原油価格上昇によって物価水準が一度押し上げられ、その後は購買力低下と景気悪化によってインフレ率が鈍化するはずである。
ところが当時のFRBは、失業率の上昇と景気後退を恐れ、供給ショックによる所得減少を金融緩和で埋め合わせようとした。政府も「潜在成長率は高く、失業は需要不足によるものだ」と考える傾向が強かった。
その結果、名目マネーと名目需要が増え続けた。
セントルイス連銀のFRB史も、大インフレの起源について、過剰な通貨供給の増加を許容した金融政策にあったと整理している。The Great Inflation
したがって、1970年代のインフレは、
$\text{供給ショック}
+\text{金融・財政による需要の下支え}
+\text{インフレ期待}$
によって持続したと考えるべきである。
石油ショックは火花であり、緩和的なマネー供給は炎を燃え続けさせる酸素だったのである。
4.マネーサプライは増えたが、「十分に増えなかった」のか
ここで一つの逆説が生じる。
名目M2は高い率で増えていた。しかし、1973~74年や1978~80年には物価上昇率がM2増加率を上回り、実質M2は減少した。
このため、当時の政策当局には次のように見えた。
インフレなのに実質流動性は不足し、景気も悪化している。ならばマネー供給を増やさなければならない。
しかし、さらにマネーを供給すると、名目需要が維持され、企業は上昇したコストを価格に転嫁できる。それを予想した労働者は賃上げを要求し、賃金上昇が再び物価に転嫁される。
つまり、
- 物価上昇で実質マネー残高が減る
- FRBが名目マネーを増やす
- 総需要が維持される
- 賃金・物価上昇が定着する
- 再び実質マネー残高が減る
という循環が成立した。
政策当局は「実質マネー不足」を補ったつもりだったが、その行動自体がインフレ期待を支えてしまったのである。
5.合――ボルカーのマネタリズム的転換
1979年10月、ボルカーFRBは政策運営を転換した。
従来はFF金利を比較的狭い範囲に誘導していたが、ボルカーは非借入準備など銀行準備を重視し、マネーサプライの増加率を抑えることを前面に出した。その結果、FF金利は市場の資金需要に応じて激しく変動し、一時20%近くまで上昇した。FRBの研究も、1979年の変更を「金融集計量を安定的かつ抑制された率で増加させる」ための準備預金重視への転換と説明している。
ただし、ここには誤解しやすい点がある。
ボルカーは、マネーサプライの名目残高を直ちに減少させたわけではない。上表のように、M1・M2は1980~82年にも増加している。
変わったのは、
必要なだけ通貨を供給して金利を安定させる政策
から、金利上昇を容認してでも通貨・信用の増加を抑制する政策
への転換である。
さらに、金融自由化、NOW口座、MMFへの資金移動などにより、M1・M2と経済活動の関係が不安定になった。そのため、実際のマネタリズム運営は理論通りの単純なマネー数量目標にはならなかった。
それでもボルカー政策の本質は、インフレに合わせて通貨を供給する「受動的な追認」をやめたことにある。
6.弁証法的総合
正
1970年代のインフレは、ニクソンショックと石油ショックによる供給制約・コスト上昇から発生した。
反
しかし供給ショックだけでは、持続的な二桁インフレにはならない。ケインズ主義的な雇用重視政策と低すぎる実質金利が、名目マネーと需要の増加を許し、供給ショックを賃金・物価スパイラルへ転化させた。
合
マネタリズムは通貨供給を増やす理論ではなく、供給ショックを恒常的インフレへ転化させないため、通貨供給の増加率とインフレ期待を制御する理論として台頭した。
ボルカーは名目マネーを消滅させたのではなく、実質金利を大幅なプラスにし、信用拡大を抑え、「FRBは失業を恐れて最後には緩和する」という市場の期待を打ち破った。これにより深刻な1981~82年不況を代償として、インフレ率は急低下した。
結論
1970年代の米国では、マネーサプライは減少していたのではなく、名目ベースではかなり速いペースで増加していた。
ただし、物価上昇率がそれ以上に高い時期には、実質マネー残高は縮小していた。その実質流動性不足を補おうとする金融緩和が、かえってインフレを持続させた。
したがって歴史的な転換は、
ケインズ主義からマネタリズムへ移行して通貨供給を増やした
のではなく、
ケインズ主義的な雇用・景気配慮によって通貨増加を容認した結果、インフレが長期化し、マネタリズムによって通貨・信用の増加を抑制する方向へ転換した
と理解するのが正確である。
1970年代の教訓は、コストプッシュインフレに対して需要を下支えすること自体が常に誤りなのではなく、その下支えが長期化してインフレ期待を固定化すると、供給ショックが貨幣的インフレへ変質するという点にある。

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