中央銀行はなぜ米国債より金を選び始めたのか

1. 主張:実質金利がマイナスになるとの見通しが金保有を促す

  • 金は利息を生まない反面、実質金利が低い(物価上昇率が金利を上回る)局面では機会費用が小さく、価値の保全に役立つと考えられてきました。実質金利が上がると金の保有コストが増え、下がると魅力が高まるという関係が長らく観察されてきた。
  • 世界各国の中央銀行は、このような金の性質を踏まえ、長期的なインフレや米国の巨額債務による通貨価値の低下を懸念しています。世界金評議会の中央銀行調査(2025年)では、金の購入理由として「インフレ対策」を挙げる回答が多く、危機時のパフォーマンスや資産分散効果と並んで重視されています。
  • 欧州中央銀行(ECB)の調査でも、金は「長期的な価値貯蔵手段」「インフレ・デフォルトへのヘッジ」として評価されていることが示されており、実質金利が米国債利回りを下回る(つまりインフレが金利を上回る)状況を想定して購入が進んだとの見方には一定の根拠があります。

2. 反論:インフレ期待だけでは説明できない多元的な要因

  • 金の価格と実質金利との逆相関は2022年以降に弱まっており、高い実質金利にもかかわらず金価格は堅調に推移しています。つまり、金保有拡大を説明するためには他の要因を考慮する必要があります。
  • ECB調査や世界金評議会調査では、中央銀行が金を保有する主な理由として「ポートフォリオ分散」「危機時の信頼性」「地政学リスクへの備え」が挙げられています。中央銀行の4割が「制裁リスク」や国際通貨体制の変化への懸念を金購入の動機に挙げたことから、米ドル資産の没収や経済制裁への恐れが大きな要因であることが分かります。
  • 2022年にロシアの外貨準備が凍結された事例は、ドル建て資産の脆弱性を浮き彫りにしました。RBCウェルスマネジメントは、この出来事が中央銀行の金需要を喚起し、ロシアのみならず新興国の中央銀行が金保有を増やす動機となったと指摘しています。
  • また、世界的な地政学的対立や米国の財政悪化に伴うドル覇権への疑念は、金を無国籍資産として評価する動きを強めています。金は分散投資先として株式や債券との相関が低く、特にインフレが不安定な時期に安全資産として重宝される。
  • このように、金の保有拡大はインフレ率と金利の差だけでなく、地政学的リスクや制裁リスクへの備え、ポートフォリオ多様化の必要性、ドル覇権への不安など、多数の要因によって動機付けられている。

3. 総合:インフレと金利の関係は重要だが、構造的な転換の一部に過ぎない

中央銀行が金を米国債よりも多く保有するようになった背景には、確かに実質金利の低下や将来のインフレに対する警戒がある。金は利息を生まないが、米国債の金利が物価上昇に追いつかず実質的に目減りする場合、金の機会費用は低下し、長期的な価値保存手段として魅力を増す。しかし、最近の実質金利上昇局面でも金価格が高止まりし、中央銀行の購入が過去最高を記録していることは、インフレ期待以外の要因が重要であることを示している。

ECBや世界金評議会の調査が示すように、金は危機耐性や地政学リスク回避、ポートフォリオ分散の役割を兼ね備えた資産である。特に米国による経済制裁が増え、政治的分断が進む中、金は発行主体を持たない「非政治的な資産」としての地位を高めている。RBCもロシアの外貨凍結を契機に中央銀行が米ドル建て資産の脆弱性を認識し、金の配分を増やしたと指摘する。さらに、米国の財政赤字拡大や長期的なドル覇権の揺らぎへの懸念も、金という安全資産の役割を強調している。

したがって、「インフレが米国債の金利以上に進むと想定したから金を増やした」という説明は重要な一部であるものの、全体を説明するには不十分である。中央銀行の行動は、インフレリスク、制裁リスク、地政学的分断、ドル覇権の変容など複数の要因が相互に作用した結果であり、金はそのような不確実性に対する包括的なヘッジとして採用されているのである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました