背景 – 「修正資本主義」とは何か
1930年代の世界大恐慌後、米国は放任主義(ラッセフェール)を放棄し、ニューディール政策を通じて政府が積極的に経済と社会福祉に関与する秩序を構築した。ブリタニカ百科事典は、ニューディールが失業救済や産業・金融・農業・住宅への改革などを行った。この労働重視の「経済憲法」は全国労働関係法や社会保障法などを含む「労働者の憲法」により労働者の安全を保証し、フランクリン・D・ルーズベルトは1932年に「快適に暮らせる権利」を基盤に置く経済秩序を構想した。この体制下では、国家が市場の失敗を是正し、労働運動の圧力が資本との妥協を生んだため「修正資本主義」や「規制資本主義」と呼ばれる。
テーゼ(主張) – 新自由主義への転換はレーガン政権に始まったか
1980年に就任したロナルド・レーガンは、高い税率や規制を経済停滞の原因とみなし、供給側経済学(サプライサイド)に基づく政策を導入した。レーガノミクスの四本柱は「防衛費の大幅な増額、政府支出の伸びの抑制、所得税・キャピタルゲイン税の引き下げ、規制の緩和、マネーサプライの引き締め」であり、規制緩和・減税・労働組合抑制を通じて自由市場への回帰を推進した。1981年には公務員労働者である航空管制官のストライキを「不法」と宣言して1万1345人を解雇し、労働運動の力を大きくそいだ。また1981年の経済回復税法や規制緩和によって大企業や富裕層の負担を軽減し、金融や農業の自由化を進めた。
このような攻撃的な市場原理主義は、労働者保護や福祉のための国家介入という「修正資本主義」を否定し、新自由主義への転換を強く印象づけた。そのため多くの論者が「レーガンから新自由主義が始まった」というテーゼを唱える。
アンチテーゼ(反証) – 地ならしはニクソン・カーター時代に進んでいた
1970年代の構造危機と企業の反攻
1960年代末から1970年代にかけて、石油危機・スタグフレーション・国際競争の激化によって、ケインズ主義的な雇用・福祉政策は行き詰まった。企業人や保守派はニューディールの規制を不利益とみなし、ルイス・F・パウエルが全米商工会議所向けに作成した1971年のメモで「自由企業への攻撃に対し企業が動員されるべきだ」と訴えた。その後、ミルトン・フリードマンらの自由市場理論が強調され、アメリカ企業はシンクタンクや政治活動を通じて規制緩和を求めた。
ニクソン政権 – 規制資本主義への挑戦
歴史家デヴィッド・ギブズによれば、リチャード・ニクソンは「ニュー・ディールから引き継いだ修正資本主義を覆そうとし」、アメリカン・エンタープライズ研究所などのシンクタンクを活用して自由市場思想を広めた。ニクソン政権は労働運動を抑え、社会保障の切り縮めや賃金と物価の統制など一見ケインズ的な政策も裏では企業利益を優先する方向で運用した。このため規制資本主義の基盤が揺らぎ始めた。
カーター政権 – 実質的な新自由主義の嚆矢
ジミー・カーターは民主党出身でありながら、1970年代末の高インフレと財政赤字の中で規制緩和と金融の自由化を進めた。航空改革の中心人物アルフレッド・カーンを任命して1978年航空規制撤廃法を成立させ、運賃や路線の自由化により民間航空業界の競争を促進した。1980年の預金機関規制緩和・金融統制法では、預金金利の上限撤廃と利息付き当座預金を認め、銀行間の自由競争と金融のディレギュレーションを進めた。同年の預金監督・金融統制法と連動する形で1980年の増税法(Revenue Act of 1978)ではキャピタルゲイン税を引き下げ、社会保障税を引き上げるなど、税負担を労働者から資本へ移す政策を採った。
またギブズは、カーターが航空・金融以外にも多くの産業規制を撤廃し、投資家減税や高金利政策を通じて賃金抑制を図ったため、彼の政策は「保守的で労働者に非友好的」であり、新自由主義の最初の波として評価すべきだと指摘する。アメリカ憲法学者ルーク・ノリスも、ニューディール秩序から新自由主義への転換は1970年代に始まり、「政府の力を縮小し、市場に権限を移す」思想が台頭したと述べる。そしてこのシフトは、ラルフ・ネーダーの消費者運動とカーター政権が推進した規制緩和が大きな役割を果たし、レーガンやクリントン政権へと強化されていった。
総合(止揚) – 段階的な変容としての新自由主義化
弁証法的に見ると、米国の経済制度は修正資本主義から新自由主義へ一挙に移行したのではなく、1970年代から1980年代にかけての経済危機、政治的闘争、国際的な潮流が相互作用しながら段階的に変容したと理解できる。
- 構造的要因: 1970年代のスタグフレーションやドルの不安定化は、完全雇用と福祉拡張を掲げるケインズ主義の限界を露呈した。企業は利潤率の低下に直面し、規制緩和と労働コスト削減を求めた。
- 政治的動員: パウエル・メモが象徴するように、企業と保守派はシンクタンクや政治資金を通じて自由市場思想を浸透させ、民主・共和両党に影響力を確立した。ラルフ・ネーダーの消費者運動は企業権力と政府権力を同時に批判し、「政府不信」を醸成した。労働運動は内部対立や公務員ストライキの失敗(PATCO)により弱体化した。
- 政策の連続性と断絶: ニクソン・カーター政権で始まった規制撤廃や金融自由化は、レーガン政権で大規模減税と社会保障削減を通じて制度化された。レーガンは自由市場を積極的に推進し、新自由主義の象徴的存在となったが、その政策は前任者の地ならしがあってこそ実現した。1990年代のクリントン政権は金融業の再統合と自由貿易協定(NAFTA)を推進し、新自由主義を超党派の「秩序」として完成させた。
以上の観点から、米国が修正資本主義から新自由主義へ転換した時期をレーガン政権に限定するのは不十分である。レーガンは転換を決定的にしたが、その前段階でニクソンやカーターが規制緩和と新自由主義的政策を進め、労働運動の弱体化と資本の反攻が準備されていた。経済危機と政治動員が重なり合って生じた長期的な過程として捉えることで、両者の功罪を総合的に評価できる。
要約
アメリカの経済制度は、ニューディール期に確立された労働者保護と政府による規制を基盤とする「修正資本主義」から、自由市場原理と規制緩和を重視する「新自由主義」へと移行した。この転換は1980年代のレーガン政権で顕在化したが、1970年代のニクソン政権やカーター政権ですでに規制撤廃や金融自由化が進み、労働運動の力が弱まっていた。レーガンは減税・規制緩和・労働組合抑制を強化し、新自由主義を制度化したものの、彼の政策は前任政権の地ならしの上に成り立っていた。したがって、米国の新自由主義化はレーガン政権から突然始まったのではなく、1970年代からの連続的な変容の結果である。

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