ハイエクが築いた自由市場思想の国際ネットワーク

モンペルラン学派(モンペルラン・ソサイエティー)とは、いわゆる「学派」や大学の学科ではなく、自由市場と古典的自由主義の価値を共有する経済学者、哲学者、歴史家などの知識人が参加する国際的な知的ネットワークです。1947年4月10日、第二次世界大戦後のスイス・レマン湖の保養地モンペルランでフリードリヒ・ハイエクが会議を主催し、各国の自由主義者36人(経済学者や歴史家、哲学者)が集まって発足しました。この集まりは戦後各国で高まっていた「国家の台頭や計画経済、共産主義的な潮流」に対し古典的自由主義の再評価を目指したもので、当初は「アクトン=トクヴィル協会」と名付けられる予定だったものの、フランク・ナイトやルートヴィヒ・フォン・ミーゼスらの反対により会議の開催地に因んだ名称が採用されました。

目的・理念

発足時に採択された「目的の声明」は、文明の中心的価値が危機にさらされていることへの危惧を示し、「個人と自発的な集団の地位が恣意的な権力の拡大によって脅かされている」「思想と言論の自由さえも寛容を装う信条によって抑圧されつつある」と警告しています。声明は、こうした危機の根源を道徳的・経済的に分析し、国家の役割を明確化して法の支配を再構築し、市場の機能を損なわない最低基準の設定や歴史の悪用への対抗、自由と平和を守る国際秩序の構築などを研究すべき課題に挙げています。一方で、特定の党派や宣伝活動に与することを否定し、共通の理念を持つ者どうしの意見交換を通じて自由社会の改善に寄与することを目的としています。

組織と活動

初会合にはハイエクやミーゼスのほか、カール・ポパー、ライオネル・ロビンズ、ミルトン・フリードマン、ジョージ・スティグラーなど、当時の自由主義系経済学者や哲学者が参加しました。会員は招待制で、当初の36人から現在は50か国近く、500人以上に拡大しており、ノーベル経済学賞受賞者や政府高官、ジャーナリスト、企業家など多彩です。会議は2年ごとに開かれ、地域別の会合も毎年行われます。日本からは西山千明(1980〜82年会長)や木内信胤などが参加しました。

現在、モンペルラン・ソサイエティーの本部は米国テキサス工科大学に置かれ、2026年時点の会長は経済学者・歴史家のディアドラ・ナンセン・マクロスキー氏です。運営資金は会員からの会費と財団による寄付で賄われ、一般市民向けの宣伝活動は行わないのが特徴です。

主な初期メンバー(抜粋)

区分人物(参加当時の所属)
創設者・初代会長フリードリヒ・ハイエク(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)
経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、ミルトン・フリードマン、ジョージ・スティグラー、フランク・H・ナイトなど
哲学者カール・ポパー(ロンドン大学)、ベルトラン・ド・ジュヴネル
歴史家・思想家ライオネル・ロビンズ、レオン・ブリュンなど
日本人木内信胤、西山千明(1980〜82年会長)

社会への影響と評価

モンペルラン・ソサイエティーは特定の政策提言は行わないものの、会員が各国でシンクタンクや自由主義系研究機関を設立し政策形成に影響を及ぼしてきました。例として、アンソニー・フィッシャーがロンドンで設立した経済問題研究所(IEA)やニューヨークのマンハッタン研究所、アトラス・ネットワークなどが挙げられます。また、会員には西ドイツのルートヴィヒ・エアハルト(蔵相/首相)、イタリア大統領ルイジ・エイナウディ、米連邦準備制度理事会議長アーサー・バーンズ、米国務長官ジョージ・シュルツなど政策責任者が含まれており、1980年のロナルド・レーガン大統領選挙では経済顧問76人のうち22人が会員だったとされます。会員のうちハイエクやフリードマン、スティグラー、ジェームズ・ブキャナンら9人がノーベル経済学賞を受賞しています。

批判と議論

モンペルラン・ソサイエティーは経済計画や国家の役割拡大に対抗して自由市場を擁護してきましたが、その影響の大きさゆえに批判も多いです。

  • 新自由主義との関係 – 多くの研究者は、同会が新自由主義(ネオリベラリズム)と呼ばれる政策潮流の知的中核となったと指摘します。公共政策評論家フィリップ・ミロウスキーは、自由市場を人間存在全体に適用するこの潮流では「市場が真理の最終審判者」とされ、「社会というものは存在せず、自由は市場が許す範囲に再定義される」と説明し、こうした思想がモンペルラン・ソサイエティーの会員によって安定化したと述べています。
  • 政策の限界 – アメリカン・アフェアーズ誌の論評は、1997年にモンペルランで行われた50周年会合以降、自由貿易や小さな政府といった理念が世界的に受け入れられたものの、21世紀になると1947年の理念が新しい問題への対応に適合せず、それらを追求した国々が重大なリスクに直面したと指摘しています。また、ハイエクが初期に強調した「競争秩序(政府が独占防止のために介入する秩序)」と完全な放任(自由企業)の区別が失われ、後世の解釈では単なる自由放任主義に矮小化されたとも論じています。
  • 社会的格差 – 経済社会学者ヴァディム・シロタは、モンペルラン・ソサイエティーが「自由市場」のイデオロギーを広めるための小さな思想サークルとして設立され、のちに「新自由主義の復活」と呼ばれる経済思想の復権を準備したと批判しています。彼は、この潮流が行き過ぎた自由化によって福祉国家の解体や所得格差の拡大を招いたと述べています。

こうした批判に対し、支持者は同会が自由思想の交換の場として重要な役割を果たし、市場経済の利点や法の支配の重要性を再確認させたと評価します。自由主義者にとってモンペルラン・ソサイエティーは、国家の過剰介入や独裁的な政治への対抗手段であり、いまも自由社会の擁護者たちの国際的なフォーラムとして存在感を保っています。

総じて、モンペルラン学派(モンペルラン・ソサイエティー)は、自由市場・個人の自由・法の支配を基盤とする思想潮流の形成に大きな影響を与えた非公式な知識人ネットワークであり、その理念と影響は今も世界各国の政策論争の中で議論され続けています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました