金はしばしば「為替ヘッジになる」といわれる。しかし、金そのものが為替変動を完全に打ち消すわけではない。金がヘッジするのは、特定の為替レートというより、通貨全般の購買力低下である。
この点を理解するには、「金は通貨の代替物である」という肯定命題と、「金もドル建てで取引される価格変動資産にすぎない」という否定命題を対立させ、両者を統合する必要がある。
正:金は通貨価値の低下を映す資産である
現代の法定通貨は、中央銀行と政府に対する信用によって成立している。ドル、円、ユーロには、それ自体に金属としての価値があるわけではない。
政府・中央銀行が通貨供給を増やし、財政赤字やインフレが拡大すれば、通貨1単位で購入できる財やサービスの量は減少する。そのとき、供給量を人為的に増やしにくい金の通貨建て価格は、相対的に上昇しやすい。
たとえばドルの購買力が低下すれば、同じ1オンスの金を取得するために、より多くのドルが必要になる。
$金価格=\frac{金そのものの価値}{通貨1単位の価値}$
したがって、分母である通貨価値が下がれば、金価格は上昇しやすい。金価格の上昇とは、金そのものが突然豊かになったというより、通貨の側が弱くなった結果でもある。
この意味で金は、ドル安だけでなく、インフレ、財政不安、金融緩和などによる法定通貨全般の価値低下に対するヘッジとなる。
反:金は為替変動を完全には相殺しない
しかし、金を為替ヘッジと断定するのは正確ではない。
国際的な金価格は主としてドル建てで表示されるため、日本の投資家が受け取る円建てリターンは、金そのものの値動きとドル円相場の双方によって決まる。
概算すれば、
円建て金価格
$ドル建て金価格
\times
ドル円レート$
となる。
たとえば、ドル建て金価格が10%上昇しても、同時にドルが円に対して10%近く下落すれば、円建て金価格の上昇はほぼ相殺される。反対に、ドル建て金価格が横ばいでも、円安が進めば円建て金価格は上昇する。
より正確には、
円建て金の収益率
$(1+\text{ドル建て金収益率})
(1+\text{ドル円変化率})-1$
で表される。
したがって、金はドル円の変動を常に打ち消す「純粋な為替ヘッジ」ではない。短期的には、実質金利の上昇、ドル高、投機的ポジションの解消、流動性確保のための換金売りなどによって、通貨不安があっても金価格が下落することがある。
合:金は「為替レート」ではなく「通貨制度」をヘッジする
この矛盾を統合すると、金は特定通貨間の為替変動を機械的に相殺する資産ではなく、法定通貨制度全体に内在する価値低下をヘッジする資産だと理解できる。
外貨預金による為替ヘッジは、ある通貨の下落に対して別の通貨を保有する行為である。しかし、ドルも円もユーロも、政府債務、金融緩和、インフレという共通の問題を抱えている。
円をドルに換えるだけなら、円の信用リスクをドルの信用リスクへ移したにすぎない。これに対して金は、特定国家の債務ではなく、誰かの返済能力を前提としない資産である。
| 保有資産 | 主にヘッジできるもの | 残るリスク |
|---|---|---|
| 外貨預金・外貨債券 | 自国通貨安 | 外国通貨・発行国の信用 |
| 為替予約 | 特定通貨間の為替変動 | 契約相手・機会損失 |
| 金 | 法定通貨全般の購買力低下 | 金価格・実質金利の変動 |
つまり、外貨は「弱い通貨から強い通貨への避難」であるのに対し、金は「通貨から非通貨資産への避難」である。
日本の投資家にとっての二重のヘッジ
日本の投資家が為替ヘッジなしの金を保有する場合、金には二つの防御機能が生じる。
第一は、ドル建て金価格の上昇による世界的な通貨価値低下への防御である。第二は、円安による円建て金価格の上昇である。
たとえば、ドル建て金価格が20%上昇し、同時に円がドルに対して15%下落した場合、
$1.20 \times 1.15 -1=38%$
となり、円建て金価格は約38%上昇する。
このため金は、財政不安、金融緩和、貿易収支の悪化などによって円の信認が低下する局面では、円資産の購買力を守る手段になり得る。
もっとも、円高とドル建て金価格の下落が同時に起これば、損失も増幅される。したがって、金は元本保証付きの保険ではなく、通貨リスクと異なる値動きを組み込むことで資産全体を安定させる保険的資産なのである。
結論
金が為替ヘッジになるのは、単にドル安になると金価格が上昇しやすいからではない。
金は、国家が発行する通貨とは異なり、特定政府の債務でも、中央銀行の信用創造によって増発できる資産でもない。そのため、円、ドル、ユーロなどの法定通貨が共通して購買力を失う局面で、相対的な価値を維持しやすい。
弁証法的にいえば、金は通貨と対立する存在ではなく、通貨制度の内部にある「供給拡大と価値維持の矛盾」が表面化したとき、その矛盾を資産保全の側から媒介する存在である。
したがって、金は「為替変動を完全に消す資産」ではない。より正確には、特定通貨への信用が揺らいだとき、資産価値を法定通貨の外側へ退避させるための、長期的な通貨価値ヘッジなのである。

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