ピケティ氏が『21世紀の資本』で提示した命題は、資本の純利潤率(r)が経済成長率(g)を上回る状況が構造的に存在し、長期的には資本所得が労働所得よりも早く増えるというものです。ニューヨーク連銀の解説によると、効率的な資本市場ではrは 4〜5%程度に収束し、技術フロンティアに位置する国の長期的な一人当たり成長率は約1.5%と推定されます。この「r>g」の格差拡大の枠組みに対し、日本・米国・欧州の中央銀行はいずれも物価の安定を「前年比2%程度のインフレ」と定義し、この目標を達成するために政策金利を操作しています。例えば日銀は2013年に「2%程度の消費者物価上昇率」を物価安定の目標とし、FRBも2%のPCEインフレ率が最大雇用と物価安定に最も適していると説明しています。欧州中央銀行も2021年の戦略見直しで「中期的に2%をめざす対称的な目標」を採用し、デフレ回避や名目金利の下限回避などの理由を挙げています。
テーゼ:成長率と実質金利の理論的関係
マクロ経済理論では、実質自然利子率(r*)は「景気を過熱も冷却もしない実質金利水準」とされ、生産性上昇や人口動態といった実物的要因で決定されます。IMFの分析では、生産性の成長が高まるほど資本の限界生産性が上昇し、貯蓄家の機会費用が高まるため、貸出を誘うにはより高い金利が必要になると指摘されています。つまり長期的な成長率が高いほど実質自然利子率も高まり、中央銀行がニュートラルな金融スタンスを保つために設定すべき政策金利(名目利子率=r*+インフレ目標)も上昇します。この考え方に基づけば、経済成長率を支える生産性や人口増加が低迷するとr*が下がり、金融政策は低金利を長期間維持せざるを得なくなります。実際、IMFは先進国での人口高齢化や生産性の低下が自然利子率の同期的な低下を招いたと分析しており、現在の金利水準はパンデミック以前に近づくと予想しています。
アンチテーゼ:政策金利は物価と需給ギャップへの反応であり、成長率とは弱い関連しかない
もっとも、中央銀行が実際に調整するのは「政策金利」であり、これはインフレ率や需給ギャップに対して反応する短期的な操作変数です。FRBの説明では、金利を下げると企業や家計の借入が増え経済活動が刺激され、金利を上げると借入が抑えられ過熱が防止されるとされています。こうした政策運営にはテイラー・ルールなどの指針が用いられ、実質的にはインフレ率と産出ギャップに応じて金利を上下させます。実証研究でも、国内の経済成長率と実質金利との間にはごく弱い相関しかなく、むしろ資本市場の統合や海外金利の影響が大きいと報告されています。すなわち、政策金利が上昇すれば直接的に投資や消費が減速し成長率が低下するものの、その水準自体は国内成長率ではなく国際的な金融環境やインフレ見通しに左右されます。この事実は「r>g」の単純な不等式がマクロ経済政策と直ちに連動しないことを示しています。
ジンテーゼ:低成長と低金利がr>gを強化し、金融政策だけでは解消できない
テーゼとアンチテーゼを結びつけると、経済成長率と政策金利の関係は次のような弁証法的構造として理解できます。生産性停滞や人口高齢化によって成長率(g)と自然利子率(r*)が低下すると、中央銀行は物価目標(2%)を達成するため政策金利を極めて低く抑えます。実際、日本銀行は物価安定の目標達成が見えてきた段階でも政策金利を0.75%程度にとどめ、実質短期金利は依然として大幅にマイナスであったと説明しています。こうした低金利は企業の借入コストを下げ、株価や不動産価格を押し上げるため、資本収益率(r)を高位に保つ一方で経済成長率(g)が伸び悩む状況(r>g)を持続させがちです。また、中央銀行がインフレを抑制するために金利を引き上げると投資や消費が減り成長率がさらに下押しされる一方、富裕層の金融資産から得られるリターンは比較的維持されるため、格差が拡大する可能性もあります。
したがって、「r>g」による資本優位の構造と、インフレ目標を中心とした中央銀行の政策運営は相互に緊張関係にあります。成長率低迷が自然利子率を引き下げるため、金融政策は長期的に低金利に誘導され、資本収益率と成長率の乖離を広げます。他方、インフレが高まれば中央銀行は金利を引き上げざるを得ず、短期的にはrを抑えgを減速させますが、構造的な格差問題の解決には至りません。最終的な解決には、金融政策だけでなく生産性向上・所得再分配・財政政策などを組み合わせる必要があるといえます。

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