米国と英国でマネタリズムが政策の中心に据えられた背景には、1970年代の二度の石油ショック後にインフレ率が二桁に達したことがありました。以下に、具体的な採用の契機と日時を示します。
米国
米国では、1979年夏に高インフレが深刻化してドル安が進み、カーター大統領は1979年8月にポール・ヴォルカーを連邦準備制度理事会(FRB)議長に任命しました。ヴォルカーは就任時の公聴会で「物価上昇の主因は貨幣供給の拡大にあり、それを抑えることが最優先課題だ」と述べました。
決定的な転機は1979年10月6日。FRBは臨時の公開市場委員会(FOMC)を招集し、ヴォルカー議長が非借入準備の目標値を定めて資金供給量の伸びを直接抑制する「新運営手法」を発表しました。従来のフェデラルファンド金利誘導から、マネーサプライ(M1)成長率の制御を重視する政策に転換した瞬間であり、マネタリズムの採用と見なされます。この発表後、政策金利は急騰して1980年初めには年率20%に達し、不況を招いたものの、インフレ率は1980年代半ばには一桁まで低下しました。
英国
英国では、1979年5月の総選挙で保守党政権が誕生すると、貨幣供給抑制を中心とする経済政策に舵を切りました。ブロッキングズ研究所の報告によれば、新政権の最初の予算(1979年6月)で前政権が設定していた広義通貨(M3)の目標成長率8~12%を7~11%に引き下げ、インフレ抑制のため金融引き締めを開始したことが記されています。
続いて1979年11月15日に最低貸出金利(Minimum Lending Rate)を17%へ引き上げ、同年10月まで7〜11%のM3ターゲットを維持すると発表しました。さらに1980年3月の予算で「中期財政戦略(MTFS)」が導入され、1980~81年度の通貨供給成長率目標を7~11%、1983~84年度には4~8%まで段階的に引き下げる4年間の道筋が示されました。この戦略は、財政収支の改善と連動しながら貨幣供給の伸びを徐々に減速させることを掲げ、英国におけるマネタリズムの本格導入とみなされています。
まとめ
米英ともに1970年代後半の高インフレを背景に、貨幣供給量の伸びを抑制するマネタリズムが政策の柱となりました。米国では1979年10月6日のヴォルカーFRBによる非借入準備目標への移行が転機でした。英国では1979年6月の最初の予算で通貨供給目標が引き下げられ、1980年3月の中期財政戦略で数年間の通貨供給目標が設定されたことが、マネタリズム採用の具体的な契機となりました。


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