財務省の為替介入は「円安対策」か「埋蔵金の現金化」か
――外為特会の為替差益をめぐる弁証法
「財務省の為替介入の目的は、円安抑制ではなく、為替差益による財源の確保である」
この命題は、外国為替資金特別会計、いわゆる「外為特会」の構造を鋭く捉えている。
しかし、結論を先に述べれば、この命題は、財務省の公式な目的を説明するものとしては成立しない。
一方で、為替介入が客観的に果たしている財政的機能を指摘するものとしては、相当の説得力を持っている。
つまり、為替介入は、
主観的・制度的には円相場の安定を目的としながら、客観的・財政的には、過去の円売り介入によって生じた含み益を実現する行為でもある。
この二重性を、弁証法的に考える必要がある。
正:円買い介入の真の目的は、為替差益の確保である
日本政府は、長年にわたる円高局面で、大規模な「円売り・ドル買い介入」を行ってきた。
その仕組みは、概略すると次のようになる。
政府短期証券を発行する
↓
円を調達する
↓
円を売却する
↓
ドルを購入する
↓
米国債などで運用する
例えば、1ドル=100円のときに1億ドルを購入するためには、100億円が必要になる。
その後、円安が進み、1ドル=150円になった時点で1億ドルを売却すれば、政府は150億円を受け取ることができる。
150億円-100億円=50億円
したがって、円安局面で行われる「ドル売り・円買い介入」は、円安を抑える政策であると同時に、過去に安く取得した外貨資産の含み益を実現する取引でもある。
しかも、外為特会の利益は、会計内部に永久に留まるわけではない。決算上の剰余金の一部は、一般会計に繰り入れられる。
実際、令和6年度の外為特会では、次の金額が計上されている。
- 外国為替等売買差益:約3,780億円
- 運用収入:約4兆8,370億円
- 決算上の剰余金:約5兆3,603億円
- 令和7年度一般会計への繰入額:約3兆2,007億円
この事実からすれば、為替介入を純粋な市場安定政策としてのみ理解することはできない。
外貨資産の売却によって為替差益が確定し、その収益を含む外為特会の剰余金が、一般会計を支えるからである。
とりわけ円安が進行すると、政府には三つの利益が同時に発生する。
- 円買い介入により「円安対策をしている」と国民に示せる
- 過去に取得した外貨資産の含み益を実現できる
- 外為特会の剰余金を一般会計の財源として活用できる
この意味で、円買い介入は「政策」と「収益化」が一致する、珍しい取引である。
したがって、表向きは円安抑制であっても、その背後には、
外貨準備という「埋蔵金」を、市場を大きく混乱させずに現金化する
という財政的合理性があると考えることもできる。
反:為替差益は副産物であり、介入の目的ではない
しかし、「為替介入の目的は財源確保である」とまで断定すると、制度上も実態上も無理がある。
1.法律上の目的は為替相場の安定である
財務大臣には、外国為替及び外国貿易法第7条第3項により、本邦通貨の外国為替相場の安定に努めることが求められている。
財務省も、為替介入について、投機などによって為替相場がファンダメンタルズから乖離したり、短期間に大きく変動したりする場合に、その安定を図るために行うものと説明している。
したがって、制度上の目的は、特定の為替水準を実現することでも、利益を最大化することでもない。
あくまで、為替相場の過度な変動を抑えることである。
2.介入で得た円貨の全額が財源になるわけではない
外貨準備の多くは、政府短期証券を発行して調達した円によって取得されている。
円買い介入によって得た円貨は、基本的には政府短期証券の償還に充てられる。
例えば、政府が100億円を調達して取得したドルを、後に150億円で売却したとする。
この場合、150億円の全額が利益になるわけではない。
売却代金150億円
=元本相当額100億円+売買差益50億円
元本相当部分は、政府短期証券という負債の返済に対応する。
財源になり得るのは、原則として、為替差益や利子収入などから諸費用を差し引いた剰余部分である。
したがって、「15兆円の円買い介入を行ったから、政府に15兆円の財源が生じた」という関係にはならない。
3.外為特会の主な収益源は利子収入である
外為特会の収益の中心は、必ずしも介入による為替差益ではない。
令和6年度を見ると、外国為替等売買差益が約3,780億円であったのに対し、外貨証券などからの運用収入は約4兆8,370億円に達している。
つまり、一般会計を支えている主な収益源は、円買い介入によって実現した為替差益というよりも、米国債などの外貨資産から生じる利子収入である。
もちろん、円安になれば外貨建て利子収入の円換算額も増える。
しかし、それは「介入による売買差益」とは区別して考えなければならない。
4.利益最大化が目的なら、介入方法は異なる
仮に財源確保だけが目的なら、円安が進むたびに、政府は機械的かつ継続的に外貨を売却すればよい。
しかし、実際の介入では、単なる為替水準だけでなく、次のような要素が考慮される。
- 為替変動の速度
- 投機的取引の有無
- 市場の流動性
- 金融市場全体への影響
- 米国など他国との国際協調
利益最大化を目的とする投資家であれば、「できるだけドルが高いところで、できるだけ多く売る」という行動を取る。
しかし、通貨当局は、市場を混乱させず、将来の介入余力も残せる範囲でしか外貨を売却できない。
この制約は、介入の第一目的が収益の最大化ではないことを示している。
合:目的は相場安定、財政的機能は含み益の実現
正と反を統合すると、為替介入には三つの側面があることが分かる。
| 側面 | 為替介入の意味 |
|---|---|
| 法律・制度上 | 円相場の急激な変動を抑える |
| 外為特会上 | 外貨資産を売却し、政府短期証券を償還する |
| 財政上 | 為替差益や運用益を確定し、剰余金の一部を一般会計へ移す |
したがって、より正確な命題は次のようになる。
財務省による円買い介入の直接的な目的は、円安の一方的・急激な進行を抑えることである。しかし、その介入は同時に、過去の円売り介入で蓄積した外貨資産の含み益を実現し、外為特会を通じて一般会計の財源を生み出す機能を持っている。
ここで重要なのは、「目的」と「結果」を混同しないことである。
為替差益が発生するからといって、それだけで差益確保が介入の目的だったとは証明できない。
しかしその一方で、財務省が介入を判断する際に、外貨資産の取得原価、実現する売買差益、政府短期証券の償還、一般会計への繰入可能額をまったく意識していないと考えるのも現実的ではない。
円買い介入には、相場安定という政策目的とともに、明らかな財政的誘因が存在する。
政府は円安そのものを完全には否定できない
この問題には、もう一つの逆説がある。
外為特会は外貨資産を大量に保有しているため、円安が進めば、円換算上の含み益が拡大する。
また、外貨証券から得られる利子収入の円換算額も増加する。
つまり、政府は円安によって、外為特会の資産価値と収益が膨らむ立場にある。
一方で、円安は食料、エネルギー、原材料などの輸入価格を押し上げ、国民生活や国内企業の負担を増加させる。
そのため政府は、
円安によって財政的利益を得る主体
であると同時に、
円安による国民生活への損失を抑える主体
でもある。
この利益相反が、為替介入の本質を複雑にしている。
政府にとって最も都合がよいのは、必ずしも大幅な円高ではない。
外為特会の利益を維持できる程度に円安でありながら、輸入物価や国民世論が耐えられなくなるほど、急激には円安が進まない状態である。
つまり、財務省が抑えたいのは「円安そのもの」というよりも、
制御不能な円安、急激な円安、そして政治問題化する円安
だと考える方が、実態に近い。
結論
「財務省の為替介入の目的は、円安抑制ではなく、為替差益による財源確保である」という命題は、「意図」と「機能」を入れ替えている点で、そのままでは成立しない。
公式かつ法的な目的は、あくまで為替相場の安定である。
また、介入によって得た円貨の大部分は、政府短期証券の償還に対応するため、外貨の売却代金全額を財源として使えるわけでもない。
しかし、円買い介入が、過去に安く取得した外貨資産の含み益を実現し、その利益を含む外為特会の剰余金が一般会計を支えていることも事実である。
ゆえに、総合命題は次のようになる。
為替介入は、円安抑制を名目とした財源確保なのではない。円相場の安定化と、外貨資産の含み益の実現とが、同じ取引の中で一致する政策である。
ただし、政府が外為特会の収益を一般会計へ継続的に繰り入れる限り、円買い介入には、通貨政策だけでなく財政政策としての側面が常につきまとう。
したがって、問うべきなのは、為替介入の「隠された目的」を断定することではない。
本当に問われるべきなのは、
為替介入と外貨資産の運用によって生じた利益が、どのような基準で一般会計へ移され、最終的に何のために使われるのか
という財政民主主義の問題なのである。

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