――ドーマー条件・インフレ・債務対GDP比から読み解く
日本政府の円安志向は明らかなのか
――ドーマー条件・インフレ・債務対GDP比から読み解く
高市政権の経済政策を俯瞰すると、日本政府が少なくとも「円高よりも円安を許容しやすい政策体系」を採っていることが見えてくる。
その根拠として、次の三点が挙げられる。
- 経済財政諮問会議の民間議員である永濱利廣氏が、ドーマー条件を重視していること
- 物価研究の第一人者である渡辺努氏が、賃金と物価の上昇を伴うインフレ経済への移行を説いていること
- 高市総理が、政府債務残高の対GDP比を安定的に引き下げる方針を示していること
これらはすべて、「名目GDPを拡大し、政府債務の実質的な負担を軽くする」という方向で一致している。
円安は輸入物価を押し上げるとともに、輸出企業や海外資産を持つ企業の円換算利益を増加させる。その結果、名目GDPや税収も拡大しやすくなる。
そのため、政府には円安を完全には止めたくない構造的な動機がある――という仮説が成り立つ。
正:政府には円安を許容する合理性がある
政府債務残高の対GDP比は、次の関係で表される。
債務対GDP比 = 政府債務残高 ÷ 名目GDP
この比率を引き下げる方法は、大きく二つある。
一つは、増税や歳出削減によって、分子である政府債務の増加を抑える方法である。
もう一つは、経済成長やインフレによって、分母である名目GDPを拡大する方法である。
高市政権が掲げる「責任ある積極財政」は、後者を重視している。増税や緊縮財政だけで政府債務を減らすのではなく、官民投資によって経済を成長させ、その結果として債務対GDP比を引き下げようという考え方である。
ドーマー条件との関係
永濱利廣氏が重視するドーマー条件も、同じ方向を向いている。
名目GDP成長率(g)> 政府債務の実効金利(r)
名目GDPの成長率が政府債務の実効金利を上回れば、基礎的財政収支が著しく悪化しない限り、債務対GDP比には低下圧力がかかる。
したがって、政府にとって重要なのは、単に歳出を削減することではない。
経済成長率を高める + 国債の実効金利を低く抑える
この組み合わせを維持することが重要になる。
円安は、次の経路を通じて、この条件を短期的に成立させやすくする。
円安 → 輸入物価上昇 → 国内物価上昇 → 名目売上・賃金・税収上昇 → 名目GDP拡大
さらに、輸出企業や海外資産を保有する企業では、外貨建て利益の円換算額が増加する。企業収益や法人税収、株価にも追い風となり得る。
インフレは政府債務の実質価値を薄める
政府債務の大部分は、名目額が固定された国債である。
インフレによって物価や所得が上昇しても、すでに発行された国債の額面が増えるわけではない。そのため、インフレは政府債務の実質的な価値を低下させる。
渡辺努氏は、物価・賃金上昇率がゼロから2%へ正常化すれば、政府債務の実質負担が試算上約180兆円軽減されると論じている。
さらに、日本国債は平均残存期間が比較的長いため、市場金利が上昇しても、政府の平均調達金利が直ちに同じ幅で上昇するわけではない。
そのため、一定期間は、
インフレによる名目GDPの増加 > 国債利払い費の増加
となりやすい。
物価や税収は比較的早く増える一方、国債利払い費の増加は借換えの進行に伴って徐々に表れる。この時間差は、政府にとって大きな財政上の利益となる。
以上をまとめると、三者の議論は次の経路でつながっている。
緩やかなインフレ → 名目GDP拡大 → ドーマー条件の維持 → 債務対GDP比低下
円安は、この流れを促進する環境となる。
反:インフレ志向と円安志向は同じではない
しかし、ここから直ちに「政府は円安そのものを目的としている」と結論づけることはできない。
政府が本来必要としているのは、円安による輸入インフレではなく、生産性向上と賃上げを伴う経済成長である。
理想的な経路は、次のようなものだ。
生産性向上 → 企業収益・実質賃金上昇 → 消費拡大 → 実質成長と緩やかなインフレ
これに対して、過度な円安によるインフレは国民生活を圧迫する。
円安 → 食料・エネルギー価格上昇 → 実質賃金低下 → 消費減少 → 実質成長率低下
日本は食料とエネルギーの多くを海外に依存している。したがって、円安が進みすぎると、名目GDPは拡大しても、国民の実質的な購買力は低下する。
政府の債務負担が軽くなる一方で、家計の負担が重くなるのである。
円安は金利上昇を招く
円安によってインフレが加速すれば、日銀は政策金利の引上げを迫られる。長期金利も上昇しやすくなる。
したがって、円安は名目成長率だけでなく、政府債務の金利も押し上げる。
円安・インフレ → 名目GDP成長率(g)の上昇
これと同時に、
円安・インフレ → 政府債務の実効金利(r)の上昇
も起こる。
金利が名目成長率以上に上昇すれば、
実効金利(r)> 名目GDP成長率(g)
となり、ドーマー条件は崩れる。
円安は政府債務を軽くする薬になり得るが、進みすぎれば国債金利を上昇させ、かえって財政を悪化させる毒にもなり得る。
合:本質は「円安志向」より「円安容認・低実質金利志向」
以上を総合すると、日本政府の政策を単純な円安誘導と断定するより、次のように捉える方が正確である。
日本政府が本質的に求めているのは、円安そのものではなく、名目GDP成長率が政府債務の実効金利を上回る状態である。
政府にとって最も都合がよいのは、次のような経済である。
- 物価と賃金が緩やかに上昇する
- 名目GDPと税収が増加する
- 日銀の利上げは緩やかな範囲にとどまる
- 政府の平均調達金利は低く維持される
- 円安が輸出企業や海外展開企業の収益を支える
- 輸入物価は国民生活を破壊するほど上昇しない
この関係は、次のように表せる。
緩やかな円安・インフレ + 低い実効金利 + 名目GDP成長 → 債務対GDP比低下
したがって、政府は円安を直接の目的としているというより、円安の恩恵を利用しながら、その弊害が深刻になるまでは本格的な円高政策を採りにくいと考えられる。
結論
永濱利廣氏のドーマー条件重視、渡辺努氏の緩やかなインフレによる経済正常化論、高市総理の債務対GDP比引下げ方針は、いずれも「名目GDPを拡大し、政府債務の実質負担を軽くする」という方向で一致している。
この意味で、政府に円安を許容する動機があることは明らかである。
ただし、それを「政府は円安そのものを目的としている」と断定するのは強すぎる。
より正確には、次のように表現すべきだろう。
高市政権は円安志向というより、名目成長と低実質金利を優先する結果として、円安を構造的に許容しやすい政権である。
政府が円安是正に動くとしても、それは持続的な円高への転換を目指すものではなく、輸入物価、実質賃金、支持率、国債金利への悪影響を抑えるための「円安の速度調整」にとどまる可能性が高い。

コメント