――「能力形成型・公共目的資本主義」への弁証法的転回
はじめに
アダム・スミス以来の資本主義思想は、単純に「自由から統制へ、再び自由へ」と振り子のように動いてきたのではない。
より正確には、
- 自由放任主義が封建的統制を解体した
- その自由が恐慌・独占・格差を生み、修正資本主義を招いた
- 修正資本主義が官僚化・財政膨張・インフレを生み、新自由主義を招いた
- 新自由主義が金融化・格差・供給力の空洞化を生み、再びその限界に達した
という、自己否定を伴う弁証法的発展であった。
したがって、新自由主義の次に必要なのは、自由放任主義でも、かつての福祉国家への単純回帰でもない。市場の自由を残しつつ、国家が社会の長期的な供給能力と国民の「稼ぐ能力」を形成する、いわば「能力形成型・公共目的資本主義」である。
Ⅰ.正――自由放任主義による封建制からの解放
18世紀の自由放任主義は、当時としては進歩的な思想であった。
重商主義体制の下では、国家が特許、関税、営業資格、植民地独占などを通じて経済活動を統制していた。これに対してアダム・スミスは、個人が自らの利益を追求すれば、価格機構と競争を通じて社会全体の富が増大すると考えた。
ここにおける市場は、単なる金儲けの場ではない。身分や国家特権から個人を解放する装置であった。
ただし、スミスを「政府は何もするな」と主張した人物と理解するのは正確ではない。彼は国防、司法、公共事業、教育など、私人の利益だけでは十分に供給されない領域について国家の役割を認めていた。
したがって、自由放任主義の本質は無政府状態ではなく、
国家が人間の経済活動を直接支配するのではなく、一般的なルールを整え、その内部で個人の自発性を解放する
ことにあった。
しかし、形式的な自由は、必ずしも実質的な自由を意味しなかった。
資本を所有する者と、労働力しか持たない者とでは、契約上は対等でも交渉力が異なる。競争は効率を生む一方、勝者への資本集中を進め、やがて競争そのものを消滅させる。
自由放任主義は、自由を徹底することによって、自由の基盤を破壊するという矛盾を抱えていたのである。
Ⅱ.反――修正資本主義による市場の社会化
19世紀末から20世紀前半にかけて、独占、失業、恐慌、労働問題が深刻化した。とりわけ1929年の世界恐慌は、「市場は放置しても自動的に完全雇用へ戻る」という楽観を崩壊させた。
ここから、ケインズ政策、社会保障、累進課税、労働者保護、公共投資を柱とする修正資本主義が成立する。
修正資本主義は、資本主義を否定したのではない。むしろ、資本主義を存続させるために市場を修正したのである。
自由放任主義が「市場か国家か」と考えたのに対し、修正資本主義は、
国家が有効需要と社会的安定を支えることによって、市場経済は初めて持続できる
と考えた。
これは市場原理に対する否定であると同時に、市場経済をより高い次元で保存する「否定の否定」であった。
しかし、修正資本主義にも矛盾が生じた。
景気後退のたびに財政支出を増やし、既得権化した給付や規制を維持すれば、政府部門は肥大化する。政治家は費用を将来世代に回しながら、現在の有権者に利益を配ることができる。企業と官僚の結び付きは、新規参入を阻害する。
1970年代のスタグフレーションは、需要管理だけでは、供給制約とインフレを解決できないことを明らかにした。
市場の失敗を是正するはずの国家が、「政府の失敗」を生むに至ったのである。
Ⅲ.再反――新自由主義による国家の市場化
この修正資本主義への反動として登場したのが、1980年代以降の新自由主義である。
規制緩和、民営化、貿易自由化、労働市場の流動化、中央銀行の独立、財政規律などを通じて、国家による裁量的介入を縮小し、市場競争を回復させようとした。
新自由主義には一定の歴史的合理性があった。
硬直した国営企業や規制産業に競争を導入し、国境を越えた分業を拡大し、消費者に低価格の商品を提供した。政治的配分よりも価格を重視したことも、権力の恣意性を抑えるうえで意味があった。
しかし、新自由主義は次第に「市場を利用する思想」から、「あらゆる社会関係を市場化する思想」へと変質した。
教育、医療、住宅、雇用、公共インフラまでもが短期的な採算性で評価されるようになった。企業は長期投資や人材育成よりも、株価、配当、自社株買いを優先する。労働者は人的資本として自己責任で市場価値を高めることを求められ、失業や貧困は社会構造ではなく個人の能力不足として処理された。
さらに、競争を重視したはずの新自由主義の下で、巨大プラットフォームや金融資本への集中が進んだ。市場集中は、競争が弱い場合には、企業が設備投資よりも価格引上げを選ぶことで投資を抑制し得るとOECDも指摘している。(oecd.org)
新自由主義は競争によって独占を破壊しようとしたが、競争の勝者が市場そのものを支配することで、新たな独占を作り出したのである。
Ⅳ.新自由主義が突き当たった四つの限界
1.分配の限界
新自由主義は「まず成長し、その果実が下層へ滴り落ちる」と考えた。しかし、資本収益率が賃金上昇率を上回る状況では、資産を持つ者ほど富を増やしやすい。
IMFも、過去数十年間に国家間格差が縮小する一方、特に先進国では国内格差が拡大したと整理している。(imf.org)
問題は結果の格差だけではない。教育、住宅、医療、デジタル環境、金融資産へのアクセス格差が、次世代の出発点を左右することである。
2.供給力の限界
最も安い場所から調達するグローバル分業は、平時には効率的である。しかし、感染症、戦争、海峡封鎖、経済制裁が起きれば、食料、エネルギー、半導体、医薬品の海外依存は国家的脆弱性となる。
効率性を極限まで高めた「在庫を持たない経済」は、余裕を削ることで危機への耐久力を失った。
3.時間軸の限界
市場価格は現在の需要を効率的に反映するが、数十年後の気候、出生率、基礎研究、インフラ老朽化を十分に反映しない。
市場は「将来の人間」を現在の取引主体として参加させることができない。したがって、長期的公共利益には政治的な代理人が必要となる。
4.民主主義の限界
経済的自由が過度に資産所有者へ集中すれば、その富は政治的発言力へ転換される。すると市場で形成された格差が政治を左右し、その政治がさらに市場の格差を固定する。
経済権力と政治権力が相互に強化されれば、形式的な一人一票と、実質的な影響力との乖離が拡大する。
Ⅴ.合――「能力形成型・公共目的資本主義」
以上の矛盾を止揚する思想として、今後台頭すべきなのが「能力形成型・公共目的資本主義」である。
その核心は、国家が個別企業の経営を代行することでも、所得を事後的に再分配するだけでもない。
市場が機能するために必要な能力・競争・供給基盤を、国家と社会が事前に形成する
ことにある。
市場は「何を、どれだけ、どの方法で生産するか」を決めることに優れている。しかし、「どのような社会を残すべきか」「どの能力を国内に保持すべきか」という目的そのものを決定することはできない。
したがって、次の時代には、
- 目的を民主政治が決める
- 手段の発見を市場競争に委ねる
- 成果を社会全体に還元する
という役割分担が必要になる。
Ⅵ.五つの原則
1.再分配より「事前分配」
税と給付によって格差を後から修正するだけではなく、教育、職業訓練、医療、住宅、保育、デジタル基盤を整え、誰もが市場に参加できる初期条件を形成する。
これは結果の完全な平等を目指すものではない。
競争の結果を平等にするのではなく、競争に参加できる能力を社会が保障する
という思想である。
2.大きな政府ではなく「能力の高い政府」
予算額の大きさを国家の強さと混同してはならない。
必要なのは、補助金を恒久的に配る政府ではなく、政策目標、期限、成果指標、撤退条件を明示できる政府である。世界銀行も現在の産業政策を、関税や補助金だけでなく、雇用、外貨獲得、環境、安全保障、供給網の強靱性など、明確な目的に応じて設計すべき政策群として扱っている。(worldbank.org)
支援には原則として、
- 期限
- 民間投資や研究開発などの条件
- 成果の公開
- 未達時の打切り
- 新規参入の余地
を設けなければならない。
国家が企業を救うのではなく、企業に公共目的への貢献を競わせるのである。
3.競争政策を新自由主義から奪還する
新自由主義は規制緩和を競争政策と同一視したが、規制をなくすだけでは巨大企業による市場支配が進む場合がある。
次の思想では、自由な市場を守るためにこそ、独占禁止、データ移転性、相互接続、新規参入支援、知的財産権の期限管理が必要となる。
競争とは、弱肉強食を放置することではない。
勝者が競争を終わらせることを防ぐ制度
なのである。
4.効率性に「強靱性」を加える
すべてを国内生産する自給自足は非効率であり、保護主義にも陥る。しかし、すべてを最安値の海外供給に依存することも危険である。
したがって、食料、エネルギー、医薬品、半導体、防衛、通信などについては、
- 国内生産
- 輸入先の分散
- 備蓄
- 同盟国との相互補完
を組み合わせるべきである。
効率性と安全保障を二者択一にせず、「多少の平時コストを負担して危機時の破綻を防ぐ」という保険的発想が必要になる。
5.資本所有の大衆化
新自由主義の最大の問題は、資本収益そのものではなく、その恩恵を受ける資本所有者が偏っていることである。
資本主義を維持するなら、労働者に資本を敵視させるのではなく、労働者自身を資本所有者にする必要がある。
具体的には、
- 長期積立投資制度
- 企業年金
- 従業員持株
- 国民ファンド
- 子どもへの資産形成口座
- AIや天然資源から生じる超過収益の社会的共有
などが考えられる。
これは資本を国有化する社会主義ではない。資本所有を広く国民へ分散する「所有の民主化」である。
Ⅶ.国家と市場の新しい関係
三つの思想の違いは、次のように整理できる。
| 経済思想 | 国家の役割 | 市場観 | 主な矛盾 |
|---|---|---|---|
| 自由放任主義 | 夜警国家・所有権保護 | 市場は自然に均衡する | 恐慌・独占・労働問題 |
| 修正資本主義 | 需要管理・福祉・再分配 | 市場は国家による補正が必要 | 官僚化・財政膨張・インフレ |
| 新自由主義 | 規制緩和・民営化・財政規律 | 市場を社会運営の中心原理とする | 格差・金融化・供給網の脆弱化 |
| 能力形成型・公共目的資本主義 | 能力・供給基盤・競争条件を形成 | 市場を目的ではなく発見装置とする | 国家の能力と民主的統制が課題 |
重要なのは、国家が「正しい企業」を事前に選ぶことではない。
国家が決めるべきなのは、脱炭素、エネルギー安全保障、健康寿命、食料安定、基礎研究といった公共目的である。その達成方法については、複数の企業、大学、地域に競争させる。
現代的産業政策には大きな可能性がある一方、補助金が既得権益化し、財政負担や資源の誤配分を生む危険もある。IMFも、産業政策は万能薬ではなく、基礎研究、スタートアップ支援、教育、インフラなどを含む広範な政策構成が必要だと警告している。(elibrary.imf.org)
ゆえに、次の経済思想は「国家か市場か」ではない。
国家が目的を設定し、市場が手段を発見し、市民が成果と資本を共有する
という三者の統合でなければならない。
Ⅷ.日本における含意
日本に必要なのも、公共事業と給付金を増やすだけの旧来型ケインズ主義ではない。
人口減少下では、需要不足より先に、労働力、電力、物流、医療、食料、住宅修繕などの供給制約が深刻化する。したがって、名目需要だけを刺激すれば、国内生産が増えず、輸入と物価だけが増える可能性がある。
日本版の能力形成型資本主義は、
- AI・半導体・電力網への長期投資
- 原子力、再生可能エネルギー、蓄電池の組合せ
- 農地集約と食料安全保障
- 教育の一律無償化より、理工系・職業教育への重点配分
- 社会保障の現金給付偏重から、子育て・就労能力形成への転換
- NISAや年金を通じた資本所有の大衆化
- 既存大企業への恒久補助ではなく、新規参入と事業再編の促進
を柱とすべきである。
これは「小さな政府」でも「大きな政府」でもない。
将来の生産能力を増やす分野には大きく、既得権の維持には小さい政府
である。
結論――自由の再定義
自由放任主義は、国家から個人を解放した。
修正資本主義は、貧困と失業から個人を守ろうとした。
新自由主義は、官僚制と既得権から市場を解放しようとした。
しかし、これから必要なのは、「国家から自由であること」だけではない。
教育を受けられること、健康を維持できること、技術変化に適応できること、資本を所有できること、失敗後に再挑戦できること――すなわち、実際に人生を選択できる能力としての自由である。
したがって、新自由主義の次に台頭すべき思想は、社会主義への回帰でも、保護主義的国家資本主義でもない。
それは、
市場の効率性、修正資本主義の社会的連帯、新自由主義の競争原理を保存しつつ、国家の長期的構想力と国民の資本所有を統合する「能力形成型・公共目的資本主義」
である。
資本主義の次の段階は、富をどう分けるかだけでなく、誰が富を生み出す能力と資本を所有するのかを問わなければならない。
自由放任主義が「市場を国家から解放した思想」であり、修正資本主義が「社会を市場から守った思想」、新自由主義が「市場を再び社会の中心に置いた思想」であるならば、次の思想は、
市場を社会の目的に従属させながら、その創造力を最大限に利用する思想
として現れるべきなのである。


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